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J.D.サリンジャー作
サリンジャーといえば『ライ麦畑でつかまえて』。『ライ麦畑…』といえばサリンジャー。というくらい有名なアメリカ人作家の作品です。彼はなかなか正体をあらわさない作家として有名で、「フィールド・オブ・ドリームズ」の原作には現れたものの、映画になると本人からクレームがついて、違う作家に差し替えなければならなくなった…などというエピソードもあります。
私がサリンジャーにつかまったのは学生時代、課題で読まされた『コネチカット州のひょこひょこおじさん』がきっかけです。その話がおさめられていたのは『ナインストーリーズ』という短編集。この短編集、どれもこれも日本人が読むには難解で微妙で、そのくせ直接には書かれていない主人公の心の叫びが微かに確実に伝わってきて、一時は中毒のような症状をおこすほど入れこみました。
今回取り上げる『バナナフィッシュ…』は比較的わかりやすく、かつ有名でいくつもの訳が出ています。手元にあるのは『ライ麦畑…』の訳も手がけた野崎孝氏の訳本です。
すでに星の数ほど研究論文が出ているであろう『バナナフィッシュ…』。それについてあれこれ書こうんなんざ、100億年早いとささやく声も聞こえますが、それはあえて聞こえないふりをして……。
いけません、すっかり前置きが長くなりました。


1950年代にさしかかろうとするアメリカ・マイアミのとあるホテルの一室にて。
若い女性とその母親が長距離電話でつながっている。
母親は旅行に出ている娘のことが心配でたまらないらしい。
ものの10分くらいの会話の中で「ミュリエル、あなた、本当に大丈夫なの?」を何度も発している。
娘の方はいたって平気である。
話の内容から察するに、彼女のパートナー、シーモアが問題になっているらしい。
母は、奇妙な言動をとるシーモアから、よほど娘を引き離したいらしい。
娘はシーモアをある程度は理解し、信用し、何より愛している。
だが、その娘の思いが、母に伝わることはない。母の心配もまた娘に届かない。
二人は一見まともな言葉で会話を交わしているが、その思いは断絶されたまま。
場面は変わって、今度は問題の青年、シーモア・グラスにスポットが当てられる。
彼は小さな友人とおしゃべりを楽しんでいる。
彼女の名はシビル。
小学校に入るかどうか、というくらいの年齢らしい。
それでも、シーモアを好きな気持ちは一人前で、前日ピアノを弾くシーモアのとなりに座りこんできた3歳半のシャロンにやきもちを妬いている。
シーモアは子供たちにとってすごく魅力的なお兄さんであるらしい。
シーモアとシビルの会話はまるでとんちんかん。
ナンセンスの本を読んでいるよう。
シーモアはシビルの水着を見て、ブルーの水着はいいね、とほめる。
でも実際に彼女の着ている水着は黄色。
ブルーの水着はシーモア自身が身につけていたりする。
また、シビルが『ちびくろサンボ』を読んだかどうかを聞けば、シーモアは大真面目に答える。
「ゆうべ読んだばかりだ」と。
どうやら、二人はおかしな会話を楽しんでいるようだ。
少なくとも互いの存在を嬉しがっているのはよくわかる。
ナンセンスな言葉を重ねて通じる二人の気持ち。
そして「バナナフィッシュ」が登場する。
シーモアによると、バナナフィッシュはバナナが大好きで、海の中、バナナのいっぱい詰まった穴を探して入ってゆくらしい。
そして穴の中でバナナを貪り食い、太りすぎて穴から出られなくなり、やがては「バナナ熱」にかかって死んでしまう、ということだ。
これはもちろん実在の魚ではない。
シーモアがその場で作り上げた想像の中の魚だ。
そして、何かを暗示している。
そう、これは「知識」という食べ物を貪欲にとりすぎて、現実の世界へ戻ることのできなくなったばかりか、あまりに強くなりすぎてしまった自我に苦しむシーモア自身の姿をも表しているのだ、という風に受け取れる。
シーモアを扱った物語はこの『バナナフィッシュ…』のほかに『シーモア―序章―』と『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』があり、その中では、シーモアがいかに古今東西の書物に精通し、幅広い知識を持っていたか、が書き表されている。
そしてグラス家の長兄である彼が、他の兄弟達にとって灯台のような存在であったことも描かれている。
しかし、彼がいくら本を読み、考え、知識をたくわえようとも、求める答えは得られなかったらしい。
さて、シーモアとシビルの二人はバナナフィッシュを見つけに、海へ入る。
シビルは浮き輪に乗せてもらい、波に浮いている。
と、波が襲ってきた。シーモアは浮き輪を上手に操作して波越えをさせる。
すると、大喜びしたシビルは、なんと波の中にバナナフィッシュを見た、というのだ!
シーモアの頭の中にしか存在しないはずのバナナフィッシュがどうしてシビルの目に写るというのだろう。
それでも、彼女は確かに見えた、と言った。
しかもバナナを6本もくわえているところまで確認したという。
それを聞いたシーモアはシビルの足にキスをすると、突然ホテルの部屋に引き上げた。
しかも他人と同じ空間にいるのがイヤでたまらない、というように、エレベーターに同乗していた女性に難癖をつけて追い出してしまった。
この時、シーモアは猛烈に感動し、同時にいたたまれない気持ちにさいなまれていたのではないだろうか。
なぜって、結婚する相手を間違えていたことに気づいたから。
自分と世界を共有してくれた、初めての、そして恐らくたった1人の女の子と今になって出会うとは。
もちろん、シーモアはミュリエルを愛していて、新婚旅行の真っ最中だった。だから事はやっかいなのだ。
(注:この物語では「新婚旅行」とは明記されていないが、シーモアを扱った他の作品=『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』で、そのように触れられているし、ミュリエルとのいきさつも書かれている)
部屋に戻ったシーモアがしたことは。
トランクの底から拳銃を取り出し、ベッドに腰掛けて、となりで眠っている女性(つまりミュリエル)を一目見ると、おもむろに自分の頭を撃ち抜いたのだった。
『ナイン・ストーリーズ』の冒頭に「隻手の声」という禅の公案が掲げられている。
有名なのでご存知の方も多いと思う。
「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに?」
手を打ち鳴らす時の音は、両手があって初めて存在するものである。
だが、片手すなわち隻手から打ち出される音とはなんぞや、という問いである。
正解はわからなくても、人の在り方を考える時のヒントにはなると思うのだ。
(2002年に書いたブックレビューを再録)

 

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