フィリップ・K・ディック(浅倉久志訳)
物語の舞台は第三次世界大戦後の放射能灰に汚染された地球。社会的地位と富のある者は地球外の星へ移住(逃亡)している時代である。地球に残留しているのは、ワケありの人間ばかり。放射能に身体を汚染されていたり、移住するだけの資金がなかったり。
動物すら、ほとんどが絶滅してしまい、電気仕掛けでない本物の動物を飼うことは社会的地位を誇ることにすらなっていた。
そしてアンドロイドたち。
アンドロイドは、もともと地球外の星で、人間に仕えるために開発された、彼らは自由と人間からの独立を求めて地球に逃亡し、人間になりすまして生きている。
人間はそんなアンドロイドを脅威と定め、高い懸賞金を賭けてバウンティーハンターと呼ばれる始末屋に「処理」させている。
この物語は、リック・デッカードというバウンティーハンターと6体のアンドロイドとの戦いである。


映画「ブレードランナー」の原作として有名なこの作品、バリバリのアクションかと思ったらそうではなく、荒廃の色濃く、哲学的といってよいほど深い作品だった。
人間対アンドロイドという構図、また、アンドロイドには不可能な感情移入を主軸とするマーサー教を設定することで「人間とは何か」という問いの答えに迫ろうとしているのがよくわかる。
SFやファンタジーには欠かせない要素だと思うが、細部の設定や描写がなかなか面白く興味深い。例えば、電気仕掛けの動物が壊れたときに呼ぶ修理屋は、必ず本物の獣医や動物病院風に装っているとか、同じく電気仕掛けの動物が壊れたときはあたかも病気のような振る舞いをするようにセットされているとか。(壊れた動物が実は電気仕掛けだったと周囲にばれないようにするため)
そして、この物語のもう一つの主人公は荒廃である。
核戦争によって文明の産物はあらかた死に絶え、キップルと呼ばれるガラクタ類ばかりが増殖する。キップルはタチの悪いガン細胞のごとく、生命の気配を押しつぶして行く。その中で人間はかろうじて生き延びている。貴重な存在となった動物を飼いながら。
マーサー教の教主はひたすら荒れた山道を歩き、ようやく高みにたどりつくと再び荒廃が支配する「死後世界」に突き落とされ、再びはい上がらなくてはならない。だが彼はひたすら黙々とその作業を続け、信者たちはその姿に共感することによって生きる力を得る。
地球に残された人類が本当に戦うべき相手はアンドロイドではなく荒廃なのだ。
(2005.1.12)

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