浅倉卓弥
帯を見ればわかるけど、第一回「このミステリーがすごい」大賞金賞受賞作
質の良い話を読んだなあ、という爽やかな読後感が残る。
読者を世界の混沌に突き落とすのではなく、そこからはい上がる過程が書かれた物語。
時代の要請なのか、この手の話が多い今日この頃。いわゆる「癒し系」なのだが、同じ「癒し」にもピンからキリまである。これはピンの方。


事件に巻き込まれて左手薬指を失った元ピアニスト・如月敬輔と、その事件で両親を失った少女・楠本千織、さらに山奥の診療所で働く岩村真理子という女性が中心になって紡ぎ出される物語。
千織は脳に障害があって、言葉を上手く操れないが、音楽は一度聴いたら完璧に覚えてしまう能力がある。サヴァン症候群とも言われている。千織を引き取った敬輔はその能力に気づいてピアノを教え込み、彼女はめきめき腕を上げる。今や二人は各地の施設を慰問演奏してまわっていた。
その中に、真理子のいる診療所があった。演奏会の翌日、真理子と千織は散歩中にヘリコプターの墜落事故に巻き込まれる。真理子の体の下にいた千織はほとんど無傷だったが、真理子は瀕死の重傷を負い、そして不思議な現象が起きる。千織の体に真理子の意識が宿ったのだった。それが続くのは4日間。つまりそれが真理子の命の期限。真理子は容赦なく迫る死を前に、何を思い何をするのか。
わかりやすい文章で、各エピソードが丁寧に積み重ねられて話が進む。
音楽の話はもちろん、脳外科的な知識も随所に織り込まれているので千織の状況に対して、また奇跡の不思議さに対しても説得力が増す。
あちこちにちりばめられたピアノ曲に頷いたり笑ったりした。いくつも出てくる曲の中で、一番重要なのはベートーベンの月光。
最後のクライマックスで奏でられる曲にこれを選んだセンスはさすがだと思う。
ただ、生への闘志を表すなら、月光の3楽章でなくとも、同じベートーベンのピアノソナタ「悲愴」の一楽章で充分だ。でも、月光にはあの1楽章がある。タン・タ・ターンで始まるこの主題は、英雄交響曲の葬送行進曲と同じ動機から出来ている。悲しみを表す1楽章と、怒りをぶつけているかのような激しい3楽章。ピアニストとしての道を断たれ生きる気力を失っていた敬輔が再生するのにふさわしい曲ではないだろうか。
この曲が奏でられるのは、真夜中の誰もいない礼拝堂。心憎い演出だ。
(2005.6.10)
おまけ
この物語、最初は日本ファンタジー大賞に応募して落ちた作品らしい。それでミステリー~に送ったら見事受賞したという。だから、最後の方はFTっぽいのね。

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