クラウス・コルドン(訳 酒寄進一)
ベルリンの貧しい労働者家族から見た、1918年11月9日に起こったドイツ革命とその後の話。原題は「赤い水兵あるいはある忘れられた冬」。
この革命はドイツ帝国を終わらせ、新たにワイマール共和国を作り出したが、ドイツの歴史では忘れられた過去なのだという。なにしろ、その後に誕生したナチス政権の存在が大きすぎるから。
これは、先に読んだ「ベルリン1933」の姉妹編。1933を読んだときにはどうしてそんなに社会主義党と共産党の仲が悪いのかピンと来なかったが、1919を読んだら分かりすぎるくらいよくわかる。


この物語を読むときに忘れてならないのが、これは労働者階級から見た革命の話だということだ。労働者階級というのはつまり、長引く戦争(第一次世界大戦)のため、食べ物と燃料すら満足に手に入らず、冬になれば水洗トイレの水が凍って流れなくなり、子供たちが栄養不足のため次々と病気で死ぬという暮らしをしている人々だ。
終わりそうなのになかなか戦争を終わらせない政府に対して業を煮やした彼らは、政府にゼネストで反抗する。そこへ、引き金としてやはり戦争にうんざりしたキール港の水兵たちが反乱を起す。(彼らが「紅い水兵」)そしてベルリンで民衆と水兵がデモの嵐を起こし、皇帝は逃げた。
民衆、特に労働者たちは新しい指導者による新しい政治、つまり食べ物に困らない政治を望んだが、実際に権力を握ったのは、以前と変わらない政治家や将校だったから、当てのはずれた労働者たちは何度もデモを起こしたり、新聞社の社屋を占拠したりした。逆に権力者たちは暴動を起す労働者たち(この時中心になったのが当時の「スパルクタス団」でのちのドイツ共産党の母体)の活動を潰しにかかり、それは成功したのだった。
そのありさまは、まさに内戦で、政治家サイドの軍隊と革命の発端となった水兵がわの軍隊とが銃を打ち合い、多数の死傷者を出した。
この一連の出来事がアッカー通り37番地の安アパートに住むゲープハルト一家の目を通して描かれている。主人公は13歳の少年ヘルムート(愛称ヘレ)で、彼には戦場で右腕をなくした父、工場で働く母、赤ん坊の弟ハンス、5歳の妹マルタがいる。本当はもう一人エルヴィンという弟がいたが、インフルエンザで亡くなってしまった。そのほか、同じアパートに住む住人が大勢出てきて、彼らとはまるで親戚のように濃い付き合いをする。石炭がなくなったら借りに行ったり、小さい子の面倒を見てもらったり(その代わり内職を手伝わされるが)、政治の話でケンカしたり、仲直りしたり。貧しさゆえの絆かもしれない。
彼らは架空の人物なのに、確かに1919年のベルリンで生きていたんじゃないかと思うほどの存在感がある。そして、革命を起さざるを得ないほど切羽詰った状況だったこともよく伝わってくる。
彼らにとって、革命のあと指導者の立場に着いた社会主義党党首のエーベルトは、ただの裏切り者だった。政治の場からスパルクタス団を締め出したかと思うと、弾圧にとりかかり、ドイツ人がドイツ人に向かって発砲する事態が生じたのだから。
こうやって書くと、いかにもエーベルトが悪人に思えるが(実際、ゲープハルト一家や彼らの周りはそう思っている)、立場を変えてみれば、弾圧はやむを得ないという見方もある。
実際問題として、労働者たちの要求通りに政治の要職や役人を全部入れ替えてしまえば、国は組織として機能しなくなる。
さほど食うに困らなかった中流以上の国民にしてみれば、いつまでもデモや発砲事件が続くことこそ御免こうむりたい事態だっただろう。彼らは、戦争はいやだったが、かといって労働者による闘争も願い下げだったと思う。
こういう背景があったからこそ、ドイツの社会主義党と共産党は決して和解できなかったのだろうし、ブルジョワ層はそのまま残されたから、右と左からつつかれてワイマール政府がふらふらだったのも分かる気がする。そしてその隙をついてナチが巧妙に力をのばしてゆく。そのあたりの経緯は「ベルリン1933」で描かれている。
東ドイツ出身の作者はどんな思いでこの話を書いたのだろう。あとがきを読む限りでは、革命を起した人々は、ただ戦争と貧困のない暮らしを求めただけだったと書いてある。
もともとこのドイツ革命自体、「忘れられた冬」だし、革命派は反乱分子みたいなニュアンスが混じる。だからこそ、あえて革命派=労働者側からこの物語を書き起こしたのだろうか。
歴史には表と裏があるから。

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