たつみや章
舞台は縄文時代の日本。縄文人を象徴すると思われる「ムラの民」と弥生人を象徴すると思われる「ヒメカの民」が出合い、衝突するさまを、1人の少年の目を通して描いた物語。
この話は4部作の1作目。


「ぼくの・稲荷山戦記」がとても良かったので、同じ作者の古代ファンタジーも読んでみたいと思って、図書館で借りてみた。
読み終わった感想は。
「まだまだ始まったばかりじゃん、この話」
だった。不覚にも1冊読みきりだとばかり思っていたのだった。嬉しいことにあと3冊もある。
よくぞ縄文時代を舞台にしてくれたと、まず、そのことが嬉しい。人間と自然の関係をさぐるなら、そこが始まりじゃないかと私も思っているから。
完璧に自然と共生していた当時の人々は、自分たちの生活様式に不満も疑問もほとんど抱かなかったことだろう。だからこそ何千年も縄文時代が続いたのだ。それがなぜ変化したかというと、大地を囲い込むことによって食物をまかなう弥生人が、まったく違う価値観を持ってこの国に渡ってきたからではないか。
このファンタジーはその衝突を題材にとっている。
まず、縄文人、すなわち「ムラ」を作り、自然の神々(カムイ)とともに暮らす人々がいる。彼らにとって狩猟とは、自然の神々からその財を分けてもらうという意味だった。彼らは本当に自然の中に神を見ていて、獣を狩るときにはもちろんのこと、水を汲むにも、家から外出するときにも、それぞれの神に祈って護りを乞い、お礼も欠かさない。
そして、弥生人、すなわち土地を囲って「クニ」を作る「ヒメカの民」がいる。彼らはあるとき海の向こうからやってきて、自然の恵みをルールにのっとらず、勝手に取り尽くし、それだけでなく、自分たちの土地を定めてそこから「ムラ」の人々を追い出そうとした。
両者は信じる神も違えば、価値観も全然違う。まともに話し合って理解できる相手ではない。
実際、ムラの代表として話し合いに赴いた若き長のアテルイも、彼の乳兄弟であり巫者であるシクルイケも、まったく相手にされず、それどころか魔物として捕らえられそうになって、命からがら逃げ延びるありさま。
その一方で、ムラを離れた山奥深く、ひっそりと家族に育てられた少年ポイシュマーがいる。彼は逃げ延びたアテルイたちと出会うことで、自分の素性と役割を知る。彼はどうやらムラをヒメカの民から守ることになるらしい……が、ポイシュマーが大人としての一歩を踏み出したところで話が終わってしまった。
この話のどこがいいかって、人と人、人と神のつながりが深く愛情溢れる視線で描かれているところ。人間同士はよくある話だが(実際、アテルイとシクルイケのつながりは深すぎて妖しいのだ。腐女子たちの想像を掻き立てるほどに/汗)、人と神のつながりをこんな風に描ける人を他に知らない。それは稲荷山戦記でも感じたことだ。たつみや章の描く神様は、あくまでも人間を愛しているのだ。まるで自分の子どものように。
そして、神と人の関係を壊しに来るのが、ヒメカの民であり、稲荷山戦記ではビジネス至上主義の大企業だった。きっと、この対立は作者のライフワークというか、テーマなんだろうな。

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