4125007810 スカイ・クロラ (C・NOVELS BIBLIOTHEQUE)
森 博嗣
中央公論新社 2002-10

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長い長い(?)スカイクロラシリーズの1冊目。
実際に読んだのは、アニメ版のカンナミが表紙を飾る文庫版だけども、個人的にはこちらのノベルズ版のイラストが好き。
ちなみにこちらの表紙イラストの少女はクサナギスイト。まさにこの出で立ちでコックピットから降りてくるシーンがある。
以下はまとまらない感想をつらつらと。


読み終えたときに思った。
これはこれでもう完結していて、本当はシリーズなんかいらなかったんじゃないだろうか。あとの五冊(番外編含む)は長大なオマケに違いない。
あれだね、たぶん「バナナフィッシュにうってつけの日」と「大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア・序章」の関係に似ている。
ここでサリンジャーを引き合いに出したのは、各章の冒頭に「ナインストーリーズ」からの引用が置かれているからだ。
文体的にもサリンジャー及び、その周辺のアメリカ文学から影響を受けているのが伺える。会話文の置き方、描写文の代わりにモノを並べて状況を説明させる手法、永久に抜け出せない通過儀礼。
サリンジャーは文学的に通過儀礼を乗り越えられなくて筆を折り(あるいは引きこもった状態ではや数十年)、大人になれないキルドレたちは撃ち落されるまで永遠に飛びつづける。(あるいは、精神が崩壊するまで神に祈りつづける選択をする者もいるらしい)
もっとも、アメリカ文学から強く影響を受ている作家はとても多いわけで、でもその影響を消化し切って独自のスタイルへと昇華させていれば問題ない。そういう意味で「スカイ・クロラ」はいい線行ってると思う。スタイルを踏み台にして独自の世界を展開している。
特に2編目のラストはいいと思う。カンナミ・ユーヒチという存在を100字以内で述べよと言われたら、このラストの4行を引っ張ってくればいい。
あちこちで、設定がよくわからないと聞く。確かに、作者はあえて社会背景を描いていない。あまりにぼやかされているので、押井監督も映像化する際には苦労したらしい。
だが、それは徹底して文章を主人公の目線と思考レベルに合わせてあるから。そして最終章で「キルドレ」という存在だけが鮮やかに浮かび上がる。見事だなあと思う。
事故がなければ永遠に思春期の姿のまま生き続けるという「キルドレ」。文中では、彼らは自分たちのことをしばしば「子供」と言い表しているけど、正確には違う。なぜなら彼らは本物の子供(つまり思春期以前の存在)が苦手だから。
原因は遺伝子操作にあるらしく、また「永遠に生きる」ことの意味が成長の停止を意味するのみならず、肉体が死んでも入れ物を変えながら生き延びる精神を指すのでは……?と思える記述もある。特に、プロローグの前に置かれた「ナインストーリーズ」中の1編「テディ」からの引用を読むと、その確信は強くなる。
だとすれば、彼らに共通するテンションの低さ、というか感情の起伏の少なさにもうなずける。
そして彼らが求めているのは”Clean, Well-Lighted Place”に違いないと思える。雲の上の世界はまさにピッタリだ。(↑このタイトルはヘミングウェイの短編のものだけど、ヘミングウェイこそ、その中身はキルドレと非常に近いと感じるのだ←「海流の中の島々」を読むとよくわかる)
原因や実情はどうあれ、キルドレたちが直面するのは、繰り返される退屈な日常とどう折り合うかという問題。死なないということは生きていないのとよく似ている。そのやりきれなさにどう対処するのか。
そのひとつが職業として戦争屋になることで、カンナミの場合は空を飛んで敵機を撃ち落す。飛行機で空を飛んでいる時間が彼にとっては生の時間。
たぶんそれは、もの書きが文字をつづる時間、バイオリニストがバイオリンを奏でる時間に相当するのだろう。

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