4062582392 熊から王へ―カイエ・ソバージュ〈2〉 (講談社選書メチエ)
中沢 新一
講談社 2002-06

by G-Tools

「熊」と聞いてつい、反応してしまった。熊は、私の中ではすでに特別な動物なのだ。個人的な理由はさておき、旧石器時代以降、自然とともに生きる人々の間で熊は神格を与えられてきたことが、北米インディアンなどの中に残る神話を通して検証される。


この「カイエ・ソバージュ」のシリーズで中核になっているのは「対称性の思考」であるが、それを端的にいい表すと、人間が動物と自由に行き来できる(文字通り、熊が人間になったり、人間と熊が結婚したりする)思考だ。それは他者の存在を思いやる深い愛情につながる。
また、そう考えることで人間は自然を畏れ、敬い、その中の一員として世界とのバランスを維持しながら暮らしてきた。
非対称性の思考(一神教に代表され、人間と動物を非連続体として捕らえ、権力=王の出現を許した思考)が圧倒的優位を占める現代でも、対象性思考の名残は各所に見られる。特に近代まで伝統的な生活様式を守ってきたモンゴロイドの部族の中に見られる。実は日本人の中(特に東北地方)にも残っている。
よく日本人は無宗教だとか言われるがそれは違うのだとわかる。そもそも無意識の部分で一神教となじまないのであり、そのかわりに自然の奥深くに住まう精霊たちとの親和性が高いのだ。手近なところでいえば、鎮守の森が守っているとされる人智を越えた力だ。そういう力を大切にしながら日本人はずっと暮らしてきた。今でもそういう地域や人々が残っている。
人間は石器時代の昔から、熊を自然の力を体現する動物として特別に大切に扱ってきた。熊を狩るときや体を解体するときには厳格な作法に従わなくてはいけない。そうやって丁重に扱わなくては、人間に自然の恵みは注がれなくなるというのだ。そのこともやはりアイヌの行事や北米の西海岸沿いのインディアンたちの神話の中にも残っている。
熊が特別視されたのは、力の強さだけではなく、冬眠することがポイントだった。冬の間、ほとんど飲ます食わずでうつらうつらと穴の中で過ごす間、熊たちの意識は動物霊が集う「ドリームタイム」(←アボリジニが指すものと同じと思われる)の中で遊んでいるのだという。そこで自然の力の源に触れ、その力を帯びて出てくるのだと。
しかし、ひとたび人間が圧倒的な技術力(具体的には刃物など鉄の武器)を得ると、熊から神聖性が剥がれ落ち、単なる動物としてしか見なされなくなってしまった。熊だけでなくすべての動物が背後に背負っていたはずの神聖な力を失う。さらに一部の動物は家畜化し、現代にいたっては病気が発生したといっては大量虐殺する世の中になった。自然の尊厳も何もあったものじゃない。でもすでに発達してしまった技術を退行させるなど不可能だ。
それならば人間は次のステップをどう踏み出せばいいのか。それを考えていこうというのが、このカイエ・ソバージュのシリーズだ。

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