458276603X 響きの考古学―音律の世界史からの冒険 (平凡社ライブラリー)
平凡社 2007-02

by G-Tools

音律の変遷や歴史について解説した本。非常に興味深かった。
今や世界中で使われているドレミファソラシドという音律。ドとレの音の幅=レとミの音の幅であり、ミとファの音の幅(半音)=シとドの音の幅。そんなの常識♪ と思っているのは、ピアノに代表される12音平均律を聞いて育った人々。
チューナーなどない遠い昔は、耳を頼りに音律を作ったわけだが、その決め方や音程は時代や地域によって微妙に違い、その違いによって音楽に独特の色彩が表れた。ところが近代ヨーロッパで平均律が実用化されてからというもの、楽器(主にピアノ)の大量生産やヨーロッパ諸国の進出とあいまって、ほどなく世界のスタンダードな音律となった。そして平均律だからこそ可能になった無調音楽が生まれる。
現在、耳を頼りに作り出された、さまざまなタイプの純正律の音階は各地の民族音楽に残されているものの、ほとんど絶滅危惧種。
しかし現代音楽の中で、純正な和音を基調にした昔の音律を見直し、実際の演奏に取り入れようとする試みが生まれている。濁りのない響きを楽しみ、美しい響きを味わえる耳を取り戻そう、という動きだ。ほとんどすべての楽器が平均律という現状で、純正律を取り入れるのは生やさしいことではない。ピアノのように1音ずつ調律ができるものならまだしも、専用の楽器を創作することもある。だから「冒険」なのだ。


その昔、ギリシャでピタゴラス音律が定められてのち、バッハの時代あたりまではドレミファの音の間隔は微妙に不均質だった。なぜそうなるかというと、理由はふたつ。
1つめは、ピタゴラス音律は、完全五度で響き合う音を積み重ねて作るのだが(ド→ソ→レ→ラ→ミ→シ→ファ♯→ド♯→ソ♯→レ♯→ラ♯→ファ→ド)、すると最初のドと最後のドの高さが微妙にずれてしまう。これは誤差などとは違う厳然たる事実で、この微妙な差異は「ピタゴラス・コンマ」と呼ばれ、後の音楽学者たちは、このコンマをどうやって誤魔化すかで頭を悩ませてきた。(差異をすべての音に均等に割り振ることができれば簡単だが、当時はそれを実行できるだけの技術がなかった。チューナーがあるわけでなし)
二つ目はピタゴラス音律では三度の和音が濁ること。例えば、ドとミは三度だから綺麗にハモると言われているが、ピタゴラス音律で得られたドとミの響きは完全に濁っている。これをきれいに鳴らすためには、ドとミの間隔を狭くしなくてはならないのだが、すると他の音とのバランスがくずれてしまう。しかし美しい三度の和音は魅力的だ。それで、完全五度を基本に置きつつ、美しい三度の和音も得られるように、音の間隔をいろいろいじり、さまざまに工夫が重ねられた音律が生まれた。また、作曲家はあらかじめ音律を想定した上で曲を作った。そうしないと正しい響きが得られないからだ。ピタゴラス音階の三度と平均律の三度と純正三度がそれぞれ違う響きを持っているように。
そして、18世紀ごろ、技術の発達により、ついに12音階すべての音の幅が均質という平均律が実用化された。これはどの和音をどの調で弾いても同じ響きがするので、移調が容易になった反面、調独特の微妙な色合いの変化が出ないし、どの和音にも微妙な濁りがある。ただし、平均律は音楽の均質化にはうってつけだった。どの和音を取り出しても同じ品質、おなじひびき。それゆえ、無機的に音を配置する無調音楽が生まれる下地となったし、今や世界の基準音。まるで某ハンバーガーのよう。
そういえば、「春の祭典」で有名なストラビンスキーが「調性にはそれぞれ色がある」として、ハ長調から変イ短調まで、それぞれが持つ色を当てはめた。ピアノでそれぞれの調を弾いて確かめたことがあって、へぇ、そんなものかしら。と思ったのだが、ストラビンスキーはおそらく純正調を意識していたのだろう。すると主音がどれになるかで、ドレミファの音程が少しずつ変わってきて、そこから受けるイメージもずいぶん変わるというものだ。これで納得がいく。
そして古楽器であるリュートのフレットがなぜ可動式なのかもこれでよくわかった。移調や音律の変化に対応するためだったのだ。

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