4167773694 ぼくらは海へ (文春文庫)
那須 正幹
文藝春秋 2010-06-10

by G-Tools

小学6年の男の子たちが、大人の手を一切借りず、自力で水上走行の可能なイカダを作る話。
彼らが集う場所は、具合のいいことに工事が中止になった埋め立て造成地で、しかも不法投棄所にもなってい土地。廃棄された小屋がある上、材木にドラム缶、廃タイヤなど、材料には事欠かない。
ある意味パラダイスのようなこの場所に集まるのは、パラダイスとは無縁な子どもたち。優等生から「ダメな子」まで、家庭の事情はさまざまながら、日常に息苦しさを感じていることが共通項。
彼らの閉塞感とイカダ作りの緻密な過程が、感情を排したドライな筆致で描かれている。
まるで新聞記事のように、誰がいつどんな風に何をしたか、が淡々とつづられているだけのように見えて、それぞれの子どもたちの立ち位置や人間性が残酷なぐらいはっきりと浮かび上がってくる。人間関係は微妙で複雑だけども、それを支えているのは友情ではなく、誰についたらより生きやすいかという計算だということもわかる。
彼らの小さな、でも脱出不可能に見える世界の出口が、手作りのイカダとイカダが浮かぶ海だった。
この文体はどこかで見たぞ、よく知っているはずだと思って考えてみたら、ヘミングウェイの書き方にそっくり。この世界に生きていることのどうしようもなさが表現されている点も含めて。


イカダ作りのメンバーの半分以上が中学受験の為に塾へ通っているという設定になっているけれど、それは、この作品を覆っている閉塞感の一部でしかない。子どもたちの家庭の事情(祖母と母のケンカが絶えない母子家庭、不倫のために崩壊寸前の家庭、職を失い賭博に走る父親、転勤族などなど)を見てゆくとよくわかるが、大人が抱えている閉塞感がそのまま子どもに伝染している。
大人の閉塞感をそのまま引き継いで、器用に自分を騙しながら大人へと脱皮してゆく子もいれば、自分をごまかしきれずに脱皮に失敗したり拒否したりする子もいる。
脱皮できなかった子たちは、晴れやかな気持ちで海へと乗り出すのだ。
この明るい絶望感は何? ああもう、「やられた」って感じ。
折るほどの筆すら持ち合わせてはいないくせに、これを読んだら筆を折りたくなった。
「作家を目指して三年で芽が出なければ止めた方がいい」とは、他ならぬ那須先生のお言葉です。

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