「ヴェネツィア共和国は、レオナルド・ダ・ヴィンチもマキアヴェッリも生まなかったかもれしない。だが、この国がその長い歴史を通じて示し続けた、人間が人間たりうる第一のもの、個人の自由を尊重する一貫した姿勢は、著作を残さなかった偉大な思想家に似てはいないであろうか」
P316より

ヴェネツィアという国に惚れ込みましたよ。
資源を持たないが故に徹底的に合理化をはかり、流通で利益を得る。そのためには「安全・安心」が何より大切であると知っていて、商売上の不正は徹底的に排除され、遠隔地を軍事力ではなく善政で支配する。
権力の集中をとことん嫌うアンチ・ヒーローの国であり、その結果が共和制や、徹底した政教分離。キリスト教徒である以前にヴェネツィア人だという自覚を持つ国民性。だから、国民が忠誠を誓う相手は英雄や教皇ではなく、ヴェネツィアという国そのものだ。

中世に地中海地方で興った都市国家のうち、ヴェネツィア共和国は寿命が最長かつ、もっとも栄えた。697年に初代元首を選出し1797年にナポレオンに降伏するまでの1100年間だ。
栄えた理由は言うまでもなく高度な通商・交渉術。地中海の東半分を掌握することで、ヨーロッパとアジアの流通の要を押さえることができた。また、当時流行したエルサレムへの「聖地巡礼パック」の至れり尽くせりぶりは現代のパック旅行と変わらないレベルの高さ。
やがて大航海時代が始まり、地中海貿易の利が薄くなる。一時はピンチに陥るものの、そこて゜ヴェネツィアは、イタリア半島に得た領土で農業や工業を推進することにして、やがてはそれらが中心産業となる。が、長い目で見れば、それがヴェネツィアの衰退の始まりだった。
どういうことかというと、ヴェネツィアの強みは「量より質」、少ない資源を効果的に活用する(商う事も含めて)智恵であり、それはつまり人の質だったということ。土地や物資は失っても、人材さえ残っていれば国の再建はきくし、本拠地は潟(ラグーナ)に浮かぶ難攻不落の町だった。また、その事実がヴェネツィア人の自信となっていた。
ところが、時代が進んで大陸のスペイン、フランス、オーストリアなどの大国が強くなってくると、「質より量」の時代になる。安い二流品が幅をきかせるようになるのだ。この状況は、ヴェネツィアのような、人の知恵や技能、あるいはサービスのクオリティが財産である国にとっては不利だった。
一番のダメージはイタリア半島に土地を持つ貴族が増えたことだ。ヴェネツィアにおいては、貴族=政治に関わることを義務づけられた階級であり、彼らが国の操縦桿を握る。ナポレオンがイタリアの領土を踏みにじりながら迫ってきたとき、有効な手だてが打てなかったのは、いざ戦争の危機がせまった場合、自分の土地を放棄してもいいからヴェネツィア本国内に閉じこもり、海上で抗戦しようと考える貴族がほとんどいなかったからだ。もし、それを実行していれば降伏しなくてすむ可能性はあったというのに。

こうしてヴェネツィアという国の栄枯盛衰を眺めてみると、「持たないこと」が自由と強さの条件なんだろうか、と思わされる。

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