大量の情報にさらされた現代人が身体感覚を失い、ひいては人間としての「土台」(血族・地域・さらには人類全体と確かにつながっているという実感)を失っているという着眼点は面白いし、自分の実感としても理解できる。
それを金原ひとみ「アッシュベイビー」、エドワード・オールビー「動物園物語」、桐野夏生「OUT」、村上春樹「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」などを読み解きながら検証してゆくのだが、その過程も面白かった。
文体がやや大仰なのと、論理に飛躍がありすぎて強引な展開になっているのが気になったが、それ以上に結末が今ひとつだったのが残念。
なぜ「脱アメリカ」論へそれるのか。むしろ脱大量消費社会なのではないか。また、身体感覚を復活させる手がかりとして、たくましい肉体を持つススメはいいとしても、それが難しい現代だから問題が起きているのではないか。(つまり安易な提案だと言いたい)これは個人的な所感だけども、音楽のことを忘れてはいないかと思った。なぜなら音楽は身体を使って音を出し、音と身体を共鳴させる芸術活動ゆえに、音楽に携わる活動をしていれば、自然と身体感覚は磨かれるはずなのだ。そこに絶望的な喪失感はないよ。(ただし、これも最近は例外ができてきて、mp3などの圧縮された音源は共鳴音が削られているから体全体で響きを味わうことは難しいとか、パソコンひとつで作曲&演奏ができてしまうソフトなんかがあるから、一概に身体感覚が磨かれるとは言い難いかもね)
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