読み終わったあと、心とお腹がいっぱいになる本。
お腹がいっぱいというのは、美味しそうなスイーツがたくさん登場して、しかもそれぞれにレシピがついているから。主人公カンナのいとこ、真水(まみ)ちゃんの夢は自分のカフェを持つことで、ふだんからいろんなおやつを作ってくれる。
心がいっぱいというのは、カンナを取り巻く人々――いとこの真水ちゃんはもちろん、父さんに母さん、親友の桃ちゃんまでもが自分の夢を見つけて実現する道中にいるから。もちろんスタートラインにたったばかりだったりゴール間近だったり、人によって達成度はさまざまだけど、とにかくみんな夢のことを語るときはこの上なく楽しそうでまぶしくて、彼らを見守っていると心があつくなる。

そしてカンナの夢は?

わからない。探しても簡単には出てきてくれない。カンナの大切な人たちはみんな夢を見つけて追いかけているのにカンナだけは見つからない。スタートラインにさえ立てないカンナは焦る。
でもカンナはまだ6年生。考える時間も、色んなことを体験する時間もたっぷりある。とまわりの大人は優しく言ってくれる。急いだり焦ったりせずとも、アンテナを張っていれば「夢」は向こうからやってくるものなのだと。

学校で「将来やりたいこと」を探すよう、積極的に指導するようになったのはいつからだろう。少なくとも自分の娘が中学生だった数年前には当たり前に行われていた。
子どもたちだけではない。大人の世界だって「夢をかなえる○○」というHwoTo本がよく売れた時期があったし、本当に自分のやりたいことを見い出し、それに向かって効率よく努力することが全面的にいいことだという風潮が今も続いている。
しかし「夢」「目標」を見つける時点でつまずいたら? というかつまずく人は少なからずいると思うし、目標を早くに定めることは大切だと思う一方で、そんなに慌てなくても、じっくり自分と世界を見つめながら考えるのもアリなんじゃないか、あるいは自分を安心させるために手っ取り早く既成品的な「夢」を自分の夢だと思い込んでしまったりしたらどうなのよ?などとずっともやもやした気持ちを抱いていた。
だから夢を見つけられずに思い悩むカンナを主人公に置くことで、同じように夢が持てないでいる子どもたちの共感を呼ぶだろうなと感じた。(ただし、カンナほどまわりの大人に恵まれている子どもは少数派だと思う)

カンナは結局、最後のページに至っても具体的な夢を見つけられない。ただ、夢を探しにまっすぐ前へ進む姿が示されるだけだ。彼女はいずれ何らかの夢を見つける、それは確かだとしても、そんな終わり方はまるで某国営放送の○学生日記みたいでズルい、と言ってはいけない。
カンナがどんな夢を見つけるかではなく、夢を見つけようとして見つけらけない彼女に対し「焦らなくてもだいじょうぶ」と見守る大人たちの優しい視線、そして「夢を追う」とはどんなことなのかを具体的に行動で示せる大人たちの背中が大切なのだから。
この本には、子どもたちへのメッセージとともに、子どもを見守る大人へのメッセージもこめられているのだと強く思う次第。

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