よい学術書だった。随筆、雑誌への寄稿文、講演記録などを集めた短篇集であるが、細切れ時間にちまちま読むには調度良い。
中世ドイツの人々の暮らしについて、伝承はもとより、ギルドやツンフトの成り立と存在意義、人間と動物の関係の変化、あるいは近世になって市民のあいだに流行した協会(今風に言えばサークル)活動などを取り上げつつ、中世人の心のありように迫っている。

例えば鐘の音の役目。時計が一般的になる前、時間の基準は教会の鐘の音だった。日本の鐘の音もまあそんな感じだけど、中世ドイツの場合は、鐘の音が労働時間の開始と終了を合図するほか、契約の有効な時間の合図でもある。契約は日没の鐘が鳴る前に結ばれなくてはいけなかったのだ。また鐘の音は非常事態を知らせたり、共同体のメンバーを招集するための音になったりする。
だから鐘を鳴らす権利は非常に重要な権利で、時としてそれは市民の反乱の合図になることもあった。領主に向かって「この要求を飲まなければ今から鐘を鳴らして全市民を招集する(=反乱の準備はできている)」という脅し文句がきいたのである。
そして中世の都市には鐘だけでなく、物売りや労働歌など、さまざまな音が生活の合図の音として鳴り響いており、それが交響曲の起源になったというから面白い。

人間と動物の関係においては、狼が人智を超えた自然の脅威を表すとされた一方で、イヌはその死骸に触れるとたちまちギルドの構成員から外されるという貶められぶり。家畜の守り役として人間に仕えていたにもかかわらず、だ。そして家畜の屠殺人や皮はぎ職人は賤民として扱われた。(このへんは日本と似てる) 自然に対する畏怖の念がひっくり返った形かもしれない。

特に印象的だったのは、中世のなかばまでは、人と人を結びつけていたのが贈与の関係だったということ。(なんと、「カイエ・ソバージュ」シリーズに登場した概念がここでも顔を出している!) 人と人の仲立ちをする物品はもはやただのモノではなくなる世界だ。贈り物には送り主の人格が宿り、返礼の品には自身の人格が宿ると考えられていた。そして領主のあかしとは、戦いによってより多くの財産を得、それらを家臣に分配できる能力のことだった。なんのことはない、鎌倉時代の封建制度と同じだ。
ところが貨幣経済が成立すると、人間関係も貨幣が媒介するようになる。するとモノは貨幣の量で価値を計られ、それ以上でも以下でもなくなる。言い換えればモノはモノでしかなくなるのだ。労働の報酬が貨幣で支払われるようになると、やはり労働もモノ化する。これは経営者と労働者の分化へとつながる。

見方を変えると、贈与経済は、ゲルマンやケルトなど大昔からヨーロッパ大陸北東部に住んでいた民族が持っていた価値観だ(縄文人の価値観にも近い)。それに対して貨幣経済はローマ帝国とキリスト教が持ち込んだ。もちろんローマに征服されたからといって一気に変わったわけではなく、表層的にはキリスト教徒になった彼らは、中身はゲルマン人の価値観を維持し、自然を畏れ、贈与によって築かれた人間関係の中で生きるスタイルをとる。その融合の名残が例えばクリスマス。太陽の復活を祝う冬至の祭りと、とある聖人の伝説がいっしょくたになってキリストの生誕祭が生まれた。(科学的に調べるとイエスが生まれたのは夏だったというし)。
中世の半ばを過ぎて、ゲルマン人が中身まで変わるきっかけとなったのが宗教改革だったらしい。ルターのお陰で、教会の「腐敗」は払拭されるが同時に、カトリック教会の中に巧妙に残された贈与経済までもが否定されてしまった。それが近代の始まりでもあるという。
日本で言うと、明治維新がローマ侵攻で、アメリカ占領が宗教改革にあたるのかなぁ。

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