先日出かけた、猫町倶楽部・文学サロンの課題本。谷崎初体験としてはこれで良かったのか。良かったんだよな、たぶん。受けたショックの度合いが半端無かったので。


短篇集につき、収められている作品は以下の通り。

  • 刺青
  • 少年
  • 幇間
  • 秘密
  • 異端者の悲しみ
  • 二人の稚児
  • 母を恋うる記

どれもこれも物事の描写が濃い。観察眼が鋭い上に豊富な比喩の使用のために、主人公が見ているもの聞いているもの(それはモノにかぎらず人の心の襞の隙間まで!)すべてが読み手の頭の中に、きっちりと再現されてしまう。迷路のような東京の下町から、花見の頃の隅田川の賑わい、怪し気な夜の都会の空気まで。しかもそれらは一種独特の、公共の場ではけっしておおっぴらにできない美を湛えているわけで、いやもう感覚の快感をナメるなよって感じですっかり圧倒された。道徳は背くためにあるに違いない。

一番濃ゆかったのが「少年」のラストで、姉御が二人のガキンチョを洋館に引き込んで調教するくだりですね、仕上げにピアノの音色を使うシーンでぶっ倒れそうになりましたとも。この作者は何もかも分かりすぎてると。某二次創作で密かに遊ぶのが趣味な方々はぜひ谷崎をご一読あれ、と思いましたね。アイデアの宝庫です。

でも私は根っこの所で漱石派です。念のため。

そしてもうひとつ、谷崎のマザコン説を裏付けるような短編が「母を恋うる記」ですが、こうして短篇集のトリとして読むと、マザコンはマザコンでも、リアル母から離れられないマザコンではなく、ファム・ファタールを追い求めてやまないタイプのマザコンだと思われます。彼にとっての母はあくまで美しく芸事に長けていて魅惑的でなくてはならないのです。ご飯を炊いてお風呂を沸かして子どもの帰りを待つタイプの母ではないのです。興味深いことに、初期の谷崎作品に登場する女性は家事が得意ではないのですね。「痴人の愛」のヒロインや「異端者の悲しみ」に登場する母は明らかにそういう設定です。彼女らにとって家事とは家政婦がやってくれるものであり、自分たちは趣味や芸事に自分の時間を使うのが当たり前なわけです。

大正~昭和初期にかけてにこんな女性像を打ち出した谷崎は確かに異端ですが、女性の立場からして見ればある意味痛快です。美は最強/凶ですな。

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