今年、生誕100年を迎える新美南吉を読書会のネタにしてみました。

新美南吉童話集 (ハルキ文庫)
新美 南吉
4758432635

収録されているのは、「でんでんむしのかなしみ」に代表される幼年童話数編、「てぶくろをかいに」「ごん狐」など有名ドコロ、さらに後期を代表する「久助くんの話」「疣(いぼ)」など。

読書会メンバーの中では「疣」や「小さい太郎のかなしみ」など、後期の作品が人気。子どもならではの「あるある」な心理を見事に描き出しているところが良いと。

また「花を埋める」というエッセイがあり、これは意外と反応した人が多かった。
これは南吉自身の子どものころの思い出なのだが、地面に穴を掘って花を入れ、上にガラスの蓋をして土をかけて隠し、それを鬼役の子が見つける遊びをしたという。けれども、ある時探しても探しても見つからない時があって、実は意地悪されて、最初から埋めてなかった花を探させられたのだというオチ。しかも意地悪したのが南吉が密かに可愛いなと思っていた女の子だったという、ちょっと甘酸っぱい思い出なのだ。
この花埋み遊びに反応が多く「私も似たような遊びをしたことがある」とか「知り合いでこの遊びを知っている人がいるけれど、岐阜や石川県の人」という話が出たり、あるいは「花埋み」を題材にした児童小説があると紹介したり。
しかし、いちばん盛り上がったのは、最後のエピソード(その後、憧れの女の子とつきあってみたけど、結局は幻滅しただけだったというくだり)が余分だったよねーという話。

このエッセイだけでなく、南吉の作品には余計……とも言い切れないけれど、最後に一言多い話が多い気がする。それが良い方に現れれば、「てぶくろをかいに」の母ぎつねの最後のセリフ「にんげんはほんとうによいものかしら」みたいに余韻を残すし、時には「花を埋める」みたいに、あら残念、と思わざるをえないこともある。いずれにしても、物語をきれいにまとめきれない、あるいはまとめてはいけない、という気持ちが作者にあったのかもしれない。


さて、ここからは個人的な感想を。

南吉はものすごくピュアな物語を書く一方で、子どもの頃の「あるある」をエグい体験も含めて文章に写し取るのも上手かった。晩年に書かれた「疣」では、都会の少年が、田舎のいとこたちと一夏の間に築いた友情を残酷なほどに裏切るのだが、それを乗り越えてゆくいとこたちの頼もしさがきれいに浮かび上がっている。「小さい太郎のかなしみ」では、大人と子どもの間にある見えない境界線の表し方が見事。いつも遊んでくれた近所のお兄さんが自分とは違う世界へ行ってしまい、二度と戻ってこない悲しみを全身で受け止める太郎に共感するだけでなく、自分の中にも似たような思い出があったことに気づいたりするのだ。

「ごん狐」にいたっては、人生の悲しき「あるある」を美しい童話にしてしまった感がある。今の時代に作られた物語なら、兵十がごんを撃つ直前に真実を知ってハッピーエンドで終わる可能性もあったろうに、南吉は当たり前のようにごんを死なせてしまう。実際、世の中には取り返しの付かない悲しい出来事の方が多く、兵十的な経験を持つ人も多くいたからだろう。もしハッピーエンドにしてしまったら、それは単なる「キツネの恩返し話」になってしまい、ありふれた良い話で終わってしまう。
聞くところによると、日本の昔話の中にも、動物の誠意に対して人間が誤解したまま死を与えてしまう話があるらしい。人は、人生の中で遭遇するやり場のない悲しさを、こうして物語にすることで昇華してきたのではないか。

もし南吉が、もう少し健康で東京で充分学ぶことができ、あと10年でもいいから長生きできていたら、どれほど凄い作品群が生まれていただろうと思うと、仕方のないことだけど残念でならない。

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