「闇の左手」 アーシュラ・K・ル・グィン

氷原でそりを引く、大小ふたつの人影。この二人のほかには命あるものはなく、いちめん雪と氷と風の世界。この作品の文庫版には3種類の表紙があるが、この新装版の表紙がいちばん本質をすくい上げていると思う。

背の高い方がゲンリー・アイ。エクーメン宇宙連盟から惑星ゲセンへ派遣された地球出身の黒人男性。もう一つの小柄な人影は、セレム・ハルス・レム・イル・エストラーベン。カルハイド王国の宰相であり、アイの世話役だったが今は追放の身となっている。彼らがなぜ南極探検隊のようなことをしているかというと、エストラーベンの手引でアイが隣国の収容所から脱走したところであり、安全なカルハイドに戻るには無人の氷原地帯を走破するしかなかったからだ。今でこそ互いに信頼し尊敬しあっているふたりだが、ここに至るまでの道が長かった。

本作は、アーシュラ・K・ル=グィンによる「ハイニッシュ・ユニバース」シリーズのひとつ。舞台は「ゲセン」あるいは〈冬〉と呼ばれる極寒の惑星。ゲセン人は地球人とよく似た姿と文明を持っているが、ひとつだけ大きく違う点があった。ゲセン人は基本的に両性具有なのだ。男性あるいは女性に変化するのは、ケメルと呼ばれる生殖のための交接期だけ。男でもなく女でもない、あるいは同時に両方の性質を備えたゲセン人に対して、ゲンリー・アイはどう接したらいいのかよくわからず、戸惑い続ける。

戸惑うのは読者も同じことで、この作品は発表された当時から物議をかもした。
誰もが子どもを産み育てる可能性を持っている(王でさえ!)。強姦が存在しない(当事者同士の合意がなければ性行為が成り立たない仕組み)。社会的な性差別が存在し得ない。男性原理が抑制されるためか、組織的な戦争は起きない。非常にゆっくりとしか発達しないテクノロジー。ジェンダー(男女の社会的役割分担)のない社会がどんなふうにまわってゆくかという壮大な思考実験の場になっている。
ただし、思考実験の場を作ったのはよいが、ゲセン人の生活ぶりが伺える描写が少ないので、読者としては物足りず、疑問が多く残るのは確かだ。たとえば、子育てはだれがどうするのか。経費はどこが負担するのか。本文中に「家族郷」という保育専門(?)の郷=ムラの存在が登場するが、あまり詳しく書かれていない。そもそも地球のような家族制度は存在するのかという点もあいまい。アイがカルハイド王国の各地を旅するシーンがあるのだが、その時に人びとの生活感が伝わるエピソードがあればと思う。

ゲセン人の両性具有については、社会の仕組みが云々というよりはむしろ、価値観への影響が書かれている。「男と女」「支配と被支配」「強者と弱者」などの二元論的な価値観が弱い世界だということ。カルハイド王国価値観を支えるハンダラ教は、大いなる無知を良しとする。世界を無理に切り分けたり整頓したりしないのだ。すべてを抱く「豊穣なる闇」がカルハイド人の世界を支えている。

細かく見ていくと、地球人とゲセン人の違いはほかにも大きなものがあって、それは「シフグレソル」と呼ばれるゲセン特有の権威感覚や、曖昧さを尊重したり、今現在を大事にする文化。アイは、こういった独特の文化になかなかなじめず、当初から何かと面倒を見てくれたエストラーベンさえ信用できずにいた。
彼の心の鎧がはがれたのは、エストラーベンと二人きりで氷原を渡る旅の最中だった。

長く厳しい氷原の旅は、ゲド戦記で言う「石垣の向こうの世界」の旅を思わせる。生命のしるしがなにもなく、影さえ消える、生と死の狭間の世界。二人は、自分と相手以外になにもない狭間の世界で、ようやく腹の中を割って誤解を解き、理解の至らなかった所を補うことができた。その結果生まれたのがこの上なく貴重でゆるぎのない「愛」だった。ただし、これはエロスを伴わないアガペーであり、精神的な愛だ。

興味深いことに、氷原の旅の最中、エストラーベンにケメルの時期が訪れたことがあって、一悶着あったようなのだが、結局一線は越えなかったことになっており、ふたりの結びつきはあくまでもプラトニックなものになっている。これは本人たちの手記にそう書いてあるだけなので真相は藪の中といえなくもないが、物語全体を見渡すと、やはりアガペーで正解なのかな、とは思う。二人が心語(テレパシー)を使って交流していることから、深い精神的なつながりは可能だと推測できるし、肉体関係なしで本物の愛は生じるのか、生じて欲しいという願望こみで。

最後にもう一つ。多視点の文体が非常に面白かった。アイの記録とエストラーベンの手記が交互に現れるだけでなく、(とくに氷原の旅の描写では二人の価値観の違いが露骨に出て面白い)1~2章おきに登場する伝承、神話、先遣隊の古い記録などのおかげで惑星ゲセンの歴史が立体的に浮かび上がってくる。しかも伝承がこの物語を解く重要な鍵を握っていたりして、謎解き的な面白さもある。例えば、なぜ本書のタイトルが「闇の左手」なのか、とか、ラストにエストラーベンの子が登場するのだが、その「母」は誰なのか、とかね。

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