宮崎吾朗監督によるアニメ放映中。
試しに、雪山で遭難しかかったローニャが熱を出す話を見てみたら、あまりにも原作に忠実でおどろいた(もしかすると、ゲドを改変しすぎて叩かれた時の後遺症かも/汗)。原作本にある台詞をそっくりそのままアニメのローニャがしゃべっている……! アニメはアニメなりの間のとり方とか言い回しがあるでしょうに。

それはさておき、リンドグレーン氏が描くマッティス森(ローニャたちの根城があるところ)は実に豊かで示唆に富む森だった。

深い山の中にひっそり佇む廃城。現在のあるじは山賊のマッティス一家。ある雷雨の晩、マッティスのかわいい一人娘が生まれた。それがローニャ。成長して10歳を超えた頃、ようやくひとりで森の中を歩きまわっても良いと親の許可をもらい、それ以降は朝から日暮れ時まで森に入り浸る日々。ローニャとって、森は友だちであり、教師であり、命を奪うかもしれない危険であり、とにかくすべてだった。しかし、あるとき同年代の少年ビルクと出会い、心惹かれるようになる。その彼がまさか敵対するボルカ一家の一人息子だったとは!

まるでロミオとジュリエットだが、さすがに山賊の娘、前途に絶望して心中するほどやわじゃない。怒り狂う父を見捨てて森の中へと家出し、ビルクと二人、家代わりの「クマの洞穴」を見つけるとそこで自活を始める。森の生き物を仕留め、解体・調理する。木の実や薬草を採取する。生活に必要な道具を作り出す。野生の馬と仲良くなり、背中に乗せてもらったり、乳をもらったりする。自由な時間はひたすら森の中を歩きまわったり、川で泳いで遊んだり。このあたりはまるでパラダイス。アダムとイブが暮らしていた楽園とはこんなふうではなかったのかと思えるくらい。また、彼らの生活スキルはすべて親たちから教わったもの。ここの山賊たちは基本的に自給自足の生活で、人の金品を奪うのは、森からは得られないモノを手に入れるためと、恐らくは狩りの一種。元々は狩猟民族として暮らしていた一族の末裔だろう。森ぐらしのエキスパートだ。

しかし洞穴ではさすがに厳しい冬は越せない。このまま家出生活を続ければほぼ間違いなく死が待っている。ローニャの母は、頃合いを見計らって説得の使いをやり、失敗すると今度は自分が出向いて行って帰っておいでと諭す。でもローニャは戻らない。父と仲直りできる自信がないからだ。そして、霜がおりてもう耐えられないくらい寒くなった日の朝、ついにローニャの父がやってきた! 宿敵ボルカ一家と和解してもいいとの言葉をたずさえて。めでたしめでたし。

という話で、大自然の厳しさ美しさと並行して、子離れ親離れのドラマが描かれている。とても美しい話であり、しかも同時にこの美しい暮らしはもうじき失われるよ、というフラグが見え隠れする。たとえば、官憲の取り締まりが厳しくなって山賊稼業は今後難しくなるだろうという、スカッレ・ベール爺の言葉。何よりローニャとビルクが「自分たちは山賊をやらない」と宣言している。そうすると、彼ら子どもたちは将来的に森を出る必要に迫られるだろう。どんな仕事をするにしても、文字の読み書きや外の人たちとのコミュニケーションは必要だ。人と森の蜜月はもう終わりなのだよ、という作者の切ないささやきが聞こえてきそうだ。

それでも晩年のリンドグレーンが敢えて野生児(!)ローニャの物語を書いたのは、現代の子どもたちが身体感覚を失いつつあるのを危惧していたからだと思いたい。森遊びで五感を鍛えたローニャは身体でものを考え、身体の声に従う。
その結果、無謀な行動を引き起こすことはあっても、決して間違うことはない。

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