「かぐや姫の物語」

ジブリの高畑勲監督作品。

ストーリーは原作のままに、描写がとてもリアルなかぐや姫。
気ままに山野を駆けまわって育った幼少期。竹を通じて天から授かった金や美しい反物を前に、京の都へ移住を考える翁。都の暮らしに馴染めないうえ、女性を商品のように扱う男性たちに嫌気がさして生まれ育った山へ逃げ出す姫。そして帝の求愛(文字通りの「求愛」行為でした……)と月への帰還。
画像の表現は隅から隅まで素晴らしかった。特に自然の美しさの描写は絶品。またかぐや姫の心の描写があまりにも真に迫っていて、とても物語の中の人とは思えないほどだった。

ところが、見終わったあと、カタルシスはやって来ず、どうしても胸の中にモヤっとした感触が残る。なぜだろう。
数日間考え続けて、思い当たったのが、姫の心理描写のリアルさが仇になったかもしれないということ。
テレビで放映されていたとき、ツイッターで話題になっていたのが「この流れで『月へ帰りたくない』はナシだろ」という多数の意見。その時はまだ未見だったのでどういうことだろう? と思いつつDVDを見ていたら、それとわかるシーンがちゃんとあった。
それは帝の求愛を受けて逃げ出し、しばらく月を眺めてはため息をつくような日々を送った後のことだ。姫が育ての親に、自分は月から来た者でもうじき月に帰らなくてはいけないと告げると同時に「わたし、月へ帰りたくない」と叫んで泣いた。思わず突っ込んだ。「あれだけ嫌な目にあったのに『月に帰りたくない』ですか?」と。
その後、姫は媼の計らいで故郷の山へでかけ、大好きだった捨丸兄と歓びの再会を果たす。この時になって、ああなるほど、姫は故郷の山と捨丸兄たちと遊びまわった日々を愛していたから月に帰りたくなかったのだとわかるので、シーンの出し方が逆だったかもしれない。

しかし、ここでさらに疑問が増える。山の暮らしを一途に恋しがる姫だが、もしも姫が捨丸兄と本当に駆け落ちしていたなら、どうなっただろう。やはり人の世の醜さに嫌気がさしていつかは「こんな場所にいたくない」と叫ぶのではないだろうかという気がする。
というのも、捨丸兄が言うように、姫は貧しい民の暮らしの本当の醜さを知らず、またその裏返しで、都での暮らしがいかに恵まれているのかわかろうとしていないからだ。いずれ生きることの厳しさに心が折れてしまいそうだし、それを予感させるだけのリアルな描写がこの作品にはある。

だから、この水面下の傲慢さこそが姫の罪であり、その罰として月に帰るという話なら、大いに納得のいくところではあるのだ。

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