第3回の「華氏451度」は、やむを得ない事情により涙をのんで諦めたが、今回は気合を入れて参加。
課題本は2010年に発刊された『ゼンデギ』 (グレッグ・イーガン著)。日本での出版は2015年。

参加者は20名。課題本のハードルが高かったのか、やや少なめで、SF初心者組とマニア組の2テーブルに分かれて語り合った。その後全体で、互いのグループで出た意見を披露するという形。
自分は初心者テーブルだったので、あまりがっつりSF的な話題は出ず、「こんな父親はイヤだ」とか音楽話で盛り上がった感ありあり。実際、イーガンにしてはぶっ飛んでいないSFなのだという。(後でレジュメの『ディアスポラ』の紹介文を見て「ほぅ」となりました。挑戦してみたい)

初心者テーブルで出た意見をざっとまとめると
・第一部は読むのに苦労した。⇔ 第一部は冒険小説的で面白かった
・第一部の必然性があまり感じられない→実は第一部にすべてが仕込まれていた(読み返すとわかる)
・音楽ネタでひきつけられる→登場する楽曲にはあえて意味を持たせてあるものがある(例:ポール・ケリー「トゥー・ハー・ドアー」)
・主人公マーティンの音楽の趣味が、80年代回顧になっており、それまでのSF作品はほとんど60年代リスペクトだったので、新鮮。
・LPをデジタル化するシーンで、「そのやり方はアカンやろ」と思ったら本当に失敗した。アナログはアナログで再生すべき。
→じつはこれが伏線というか、テーマを示唆する出来事だった。つまりアナログをデジタルに置き換えようとして失敗する話。
・あまりSFっぽくない→『ゼンデギ』は作者の自叙伝ぽい部分があり、あえてそれまでの作風を否定してもいる。
・イーガンにしては読みやすい(ただしドライブ感に欠ける)
・自分の息子のため、「ゼンデギ」内にプロキシを残したいと願うマーティンだが、息子にとって、ゲームの中にまで親が出てきて説教してくるなんてウザいだけ。
→そのゲームをするかしないかは息子に選択権があり、プロキシが残った場合、むしろ墓参りソフトとして機能するのではないか。
・マーティンのエゴが気になって全然共感できなかった。←例えば友人のオマールはとてもよい人なのに、価値観の違いを理由に、彼に子どもを託すことを拒んだ。それは偏見ではないのか。
・女性の描写に色香がない。もう一人の主人公ナシムにしても、マーティンの妻マヌフーシュにしても服装や髪型、趣味などの描写がごっそり抜け落ちているので、身体的なイメージがわかない。
・キャプランは面白いキャラなのに登場する機会が少なすぎて残念。
・なぜ物語の舞台としてイランを選んだのか。→欧米的な価値観とは違う世界を出すという意味で中近東。ではなぜアジアでもアフリカでもないのだろうか→「神」の問題があり、キリスト教とイスラム教は同じ創世神から発していながら、片方はイエス・キリストを、もう一方は預言者ムハマンドを経由することによって、今では対立するものとなってしまった。

マニアテーブルで出た意見も初心者テーブルと重なるものが多かった(音楽ネタのぞく)。そのなかで印象に残ったのが
・マーティンのプロキシについては成功も失敗もなく、ただ完成品がマーティンにとって都合が悪かったというだけで、マーティンの本当の姿を映し出すという意味では成功していたのではないか。
・ジェット機の話かと思ったら、ライト兄弟の話だった。
・なぜイランかというと、作者がもともとペルシャ文化が好きで「シャーナーメ」を出したかったから。

いやはや、いつものことだが、自分でも思いもよらなかった方向からの意見が飛んできて面白い。音楽のラインナップに関する考察には唸るしかなかったし、「ゲームにまで出てくる父ちゃんウザい」には笑いながらも「だよねー」と思ったし。キャプランは大穴。

続いて恒例となった「次に読む本」コーナーでは、二つのテーブルで重なるものがひとつもないという面白い事態に。その中でこれは、と思った本を挙げてみる。





自分的にはやはり極北と言われる「ディアスポラ」に挑戦してみたい。

つくづく読書会は知的な遊びの場だと思う。関係者の皆さま、ありがとうございました。

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