ゼロ戦設計者の堀越二郎をモデルにした作品。賛否両論の評判をいろいろ耳にしていながら、今まで放置していたのが残念。
自分的には「紅の豚」と同じカテゴリー分類で、好きな作品のうちに入る。(これまで見てきたジブリ作品の中で、一番傑作だと思うのが「ラピュタ」、最も影響を受けたのが「ナウシカ」)
宮崎監督の飛行機愛が溢れすぎ、視聴の対象もお子様向けではなく、タバコは当たり前のように出てくるし、話の展開や舞台の移り変わりは、台詞で説明するのではなく絵と動きを見て読み取れという方式。やりたい放題作ったという感じで、確かにこれを描いちゃったらもう引退宣言だろうなと思った。

公開されてからまだ3年しかたっていなかったということ、東北の震災後に製作された作品だということに軽い驚きと、なるほどなあという感慨が混じる。

この作品は大正時代の終わり~昭和10年代という戦前を描いていながら、音楽は南欧をイメージさせるし、情景はひたすら美しい。美しい飛行機を作りたいという二郎の夢は叶い、愛は実る。
一見、順風満帆な彼の生き方は次のひと言に象徴される。
“Le vent se lève, il faut tenter de vivre” 「風立ちぬ、生きねば」。
風は、飛行機が飛ぶのに必要な風であり、人生における波風でもある。風が自分に向かって吹いてくることはつまり、自分が人生に試されていることでもある。飛行機の設計を任されるようになるまでの試練、愛する人が病に侵されているという試練。乗り越える壁があるかぎり進んでゆくという意味でもあるのだろう。

美しさは時に狂気や恐怖と紙一重だが、美しい描写の向こうには、戦争の重苦しさと悲劇が紙一重で透けて見える。こちら側が美しければ美しいほど、向こう側の狂気や醜さが際立って見える。夢と狂気が交錯する場所として設定されているのが、二郎が休暇中に訪れた軽井沢。そこで二郎は菜穂子と再会し婚約までする一方、カストルプという謎のドイツ人とも出会い、「ここは魔の山。忘れるにいいところです。チャイナと戦争してる、忘れる。満州国作った、忘れる。国際連盟抜けた、忘れる。世界を敵にする、忘れる。日本、破裂する。ドイツも破裂する」と囁きかけられるのだ。忘れるどころか、記憶に焼き付けられるではないか。喜びに満ちた菜穂子との再会にしても、彼女の愛を得ると同時に結核持ちだという悲しい事実も知ることになる。

生きることの美と残酷さをかろうじて仕切り分けていた薄い一枚の紙は、とうとう最後のシーンで破裂するわけだが、そこは非常に暗示的な描かれ方だ。
夢の中で、二郎は墜落したゼロ戦の残骸の山の中を歩いている。それはつまり、彼の設計したゼロ戦がすべて墜ち、戦争で多くの命が失われたことを象徴している。だが、この時のBGMは南欧風の美しくゆったりした音楽だ。あまりの皮肉に鳥肌が立つ。やがて、二郎が幼い日から憧れ続けた飛行機の設計者で、人生の節目には必ず夢のなかに登場してきたカプローニ伯爵が現れる。「まだ風は吹いているか?」と。二郎が「はい」と答えると、カプローニは「君をずっと待っている人がいる」と彼をある場所へ案内する。そこには新妻の菜穂子がいた。彼女は婚約前から結核を患っており、その時はもう亡くなっているものと思われる。菜穂子は「あなたは生きて」とつぶやいて消えた。二郎はそこで初めて赦しを得たと知る。
仕事に夢中になりすぎて、最愛の妻の看病もできなかった後悔、彼女を失ってようやく完成させたゼロ戦は戦争の道具となって多くの命を奪って消えたという罪悪感と虚無感。それらを背負って地獄を見ていたであろう二郎はここで再び「生きねば」と思い直す。もちろん生きていたって地獄は消えず、罪も消えないのだが、絶望を傍らにおいて生き抜こうと決めたアニメの中の二郎の姿は、やはり美しく見える。美しいことを手放しで褒めたたえる気はないけれども、これも一つの生き方なのだなぁという感慨は湧く。

トリビアな話を最後に置くが、二郎役の声優さん、棒読みの割には肝心なところでいい演技をするなあと思っていたら、なんと庵野監督だった。

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