今回の課題本は、ハイライン『宇宙の戦士』。
ガンダムのモビルスーツの原型が登場していると言われる作品で、作者の政治的立場が露骨に出ているため、出版当初から物議を醸したといういわくつきの本だ。そのため、主義主張そのものに触れる論争はナシで、と前もって通達があった。

ざっとあらすじをまとめると、人類と異星人が星間戦争をしている世界で、地球連邦軍に志願兵として入った青年ジョニーの成長物語。その世界では徴兵制度はないが、18歳になると志願兵として入隊することができる。任期を勤め上げれば、選挙権を持つ「市民」として認められる。
鬼軍曹による新兵訓練あり、パワードスーツ(←これがモビルスーツの元となった)を着用しての戦闘シーンあり、ハイスクールでの「歴史・道徳授業」で退役軍人のデュボワ先生が持論を滔々と語るシーンあり(これが作者の声と重なって説教臭さの主因となっている)で、市民とは(国を守るという)義務を負うことで権利を持つという考え方が根底にある。
 
今回は参加者が多く、30名弱で、3テーブルに分かれての話し合いとなった。後半で、各テーブルの意見を共有するのはいつも通り。4回めの参加ともなると、見知った方が多くなって親近感が増す。自分のテーブルにはなんとSF翻訳者の中村先生が入って、専門的な話をたっぷりうかがうことができた(いっぽうでとても緊張した……。昔から「先生」と名のつく人は大層苦手でして)。

中村先生からの重要な指摘はおもに3つ。
一つ目は『宇宙の戦士』の中編バージョンについて。中編を書きなおして長編にしたのではなく、その逆だという話。ハインラインはもともと、長編を完成させてスクリブナー社に持ち込んだが断られ、結果としてデュボワ先生の議論に代表される主義主張をばっさりカットしてジョニーの成長に焦点を当てた中編版を「ファンタジイ・アンド・サイエンス・フィクション」誌に掲載することになった。
二つ目は、『宇宙の戦士』がアメリカで出版されたのは1959年で、ベトナム戦争以前なので、モデルになっている戦争は、第2次世界大戦と朝鮮戦争だということ。ところが日本で翻訳出版されたのが1967年で、すでにベトナム戦争の真っ最中だったため、ベトナム戦争を前提にして書かれている訳書のあとがきはまったく的を外しているという話。(現在は内田昌之氏による新訳版が出ており、そちらには違うあとがきが掲載されている)
三つ目は、これは中村先生の他にも指摘した人が多かったのだが、ハインラインは筋金入りのリバタリアンだったということ。リバタリアニズムとは、Wikiによると「個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する、自由主義上の政治思想」だという。個人の活動を最大限に認め、政府の介入は最低限にという考え方だ。もちろん社会的弱者への補助も最低限に。自己責任論であるし、極言すれば、生きる資格を持つのは心身ともに強い者のみだという弱者排除の考え方だ。開拓時代の名残で、アメリカには根強く残っている。物語の背景としてそういう思想を借用したのではく、そういう思想を持っているから『宇宙の戦士』のような物語が生まれた。だからこそ、出版当初からアメリカ本国でも物議を醸したわけだ。

同じテーブルの人達の意見は、既読者が多く「今だから抵抗が少なく読めた」「リーダビリティは高い」という意見が多かった。その他「社畜養成ストーリー」とか「敵の描写が全然ないよね」とか「パワードスーツは良い」など、肯定的な意見が多かった。また、『宇宙の戦士』を元ネタにした映画「スターシップ・トゥルーパーズ」の話題が出たり、原作持ちのSF映画の話が出たり、この作品に対するアンチテーゼを含む作品が紹介されたりして、収穫の多い時間だった。

休憩をはさんで、世話人のひとり、舞狂小鬼さん手作りのジャム(これ目当てで参加した人がいたとかいなかったとか……)を堪能したのちは、テーブル同士の意見の交換会。よそのテーブルは手厳しかった。ダメ出しの数が半端ない。いちばん「へぇぇぇぇ」と思ったのが、「兵士の成長物語と言われているがジョニーはまったく成長していない」だった。言われてみれば、兵隊としてのスキルと地位はどんどん上がっていくが、思考能力はほとんど育っていない(自分の意志で動いたら兵隊としてはアウトだからね)。だから、成長ではなく出世物語だと。確かに社畜養成ストーリーとして読むと「ほんと、それな」とうなずきたくなる。大勢の社畜と、ほんの一握りの優秀(と想定される)な意思決定機関で出来上がった世界がはたして幸せなのかどうか。ジョニーのようにすっかり洗脳された勝ち組にとっては幸せなのだろうな。

次回の課題本は、『われはロボット』『カエアンの聖衣』『月世界小説』が競った末に「カエアンの聖衣」に決定。これも楽しみ。

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