伊藤計劃プロジェクトというのがありまして、「虐殺器官」「ハーモニー」「屍者の帝国」の三作がめでたくアニメ化された(虐殺器官はまだ製作中だけども)。
「ハーモニー」は劇場公開時に評判がよかったので、DVDをレンタルしてみることにした。



「ハーモニー」の内容を軽く説明しておくと、「大災禍」という世界的な危機を乗り越えた近未来が舞台。人々の身体と心を常に健全な状態に保つことを目的とする「生府」が権力を握っている。人々はある年齢を過ぎると体内に”Watch Me”というナノマシンを入れて、自分のすべてのデータを生府に監視させる。何もかもが「健全」でなくてはいけない世界で、三人の女子高生が自殺を試みた。しかし、三人のうち、キアンが恐くなって親にチクり、残る二人のうちトァンは助かって、首謀者のミァハは自殺成功――したはずだった。しかし、成人して紛争地で活動するトァンは、再会したキアンの死を通じて、死んだはずのミァハが生きていることに気がつく。ミァハは世界を混乱させることによって、人類の自我を消滅させる「ハーモニープログラム」を発動させようと目論んでいた。そうすれば、世界から争いや愚かな行いが消え、永久に平和が訪れるのだ。

ビジュアルは悪く無い。特に、すべてが「やさしいピンク色」で覆われた都市の様子、「オーグ」こと拡張現実の描写、常に「社会のリソース」として “Watch me” に監視され健全な心身の保持を要求されている人々の様子は、小説を読みながら抱いたイメージそのものだ。

少女たちも美しい。キアンは可愛らしい社会の優等生で、トァンは姉御っぽい雰囲気がよく出ている。ことに御冷ミァハの危うい美しさときたら、百合になるのも無理らかぬことだと思うほどだった。でも、映像の中の彼女には危うさはあったけれど恐ろしさがなかったな。小説の中のミァハの瞳には暗い深淵が見えたはずだが、アニメ版ではそれが見られなかった。なぜミァハがテロリストであり得たか。彼女は高校生の頃からずっと、自分の心身=社会のリソースとみなされる体制に強い反発を抱いていたが、それだけでは充分でない。彼女の出自や幼いころの体験から来る深い虚無感、人類に対する絶望が異様に膨れ上がったからだけど、アニメ版ではそこが薄いのね。美少女がただ面白がって人の命を弄んでいるようにしか見えない。

おおむね成功しているように見えるビジュアル化だが、問題はあって、それはリアリティ。最初の方、戦場でトラブルが起きた時にトァンが走る車の中からヘリめがけてバズーカらしきものを撃つシーンがある。その時の装備が軽装すぎて、あの世界の武器はよほど兵士に負担がかからないように改良されているのか、それとも華奢に見えるトァンが実はよほどの筋肉体質だったのかと、余計なことを思い巡らすレベル。さらに、ラストでミァハと邂逅するシーン。あそこは高山地帯で相当気候は厳しいはずだ。なのに彼女たちの服装の薄さときたら! 古い例えで恐縮だが、ダーティペアのごとく、実は透明な強化繊維で全身を覆われているのかと妄想するレベルだ。いくら物語世界の中だからって、いや、虚構の世界だからこそリアリティは大事。

もう一つ、アニメ作品として致命的なのは、説明の多さ。言い換えれば、トァンのモノローグの長さだ。小説であれば、主人公が延々独白してもまったく不自然ではなく、実際に原作小説では、トァンの語りで物語は進む。しかし、これをそのまんまアニメにしてしまうと、動きのないシーンの中、主人公が淡々と状況や心のうちを語ることになるわけで、せいぜいできるのは、カットや視点の変更ぐらい。正直、退屈だ。語りに頼るのではなく、エピソードの積み重ねでトァンの台詞の内容を表現できれば良かったのにと思う。

ラストのあの銃声は、一つしか聞こえなかったけど、一発で二人の命を奪ったという可能性はなかったのかな。アニメ版においても、最終的にはハーモニープログラムは発動し、すべての人類は「合理的に」ものごとを選択するようになって余分な感情を失ったことになっているから(最初と最後に登場する〈emtl〉のタグは、感情を呼び起こすプログラムであり、ハーモニープログラムの中で暮らす人々が、物語を感情付きで体験するためものものです。eはもちろんemotionのeですよ)、たとえトァンが生きていたとしても、自我と呼べるものが消滅してしまっているので、どのみち生きていても死んでいても大差はないのだけどね。

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