第5回名古屋SF読書会の課題本。
惑星間戦争が行わている未来の地球が舞台で、主人公はパワードスーツを着用して戦う機動歩兵隊の兵士。
彼が入隊して新兵となって実戦に参加し、やがては士官学校を卒業して職業軍人として出世してゆくさまを自叙伝風につづった物語。
この作品のポイントは二つ。
1つめは、ガンダムの元ネタとなったとも言われる「パワードスーツ」。ロボットではなく、宇宙服のように装着することにより全身の力が増幅されるアシスタント装備。これは、表紙イラストがすべてを物語っていると思う。パワードスーツを装着した機動歩兵帯による戦闘シーンは思わず引き込まれる。この戦闘シーンが冒頭に持ち込まれることで、読者のつかみは抜群。ただし、その後はだらだらと新兵訓練の話が続くので、読み進めるのがつらい。

2つめは、高度にコントロールされた暴力によって国家は管理されるべきだという思想で、これが大きなウエイトを占める。この思想を体現しているのが作中に登場する軍隊の世界。心身ともにタフな戦士にするための新兵教育、完全に組織化された権力など、過去に存在した軍隊の欠点や暗部をきれいにぬぐいさった、作者が理想とする軍隊の世界が描き出される。軍隊は肯定的に描かれているだけでなく、社会生活の規範として扱われている。選挙権を持ったり公職に就くことができるのは、この理想化された軍隊で任期を終えることのできた人間のみという設定だ。彼らなら社会に対する責任と義務の重要性を理解できているからだと作品中では説明されているが、裏を返せば、入隊を望まなかったもの、途中で脱落したものは、選挙権が持てないということだ。

「では、われわれの投票者たちと過去の特権の行使者たちとのちがいはなんなのか?(中略)われわれのシステムのもとでは、すべての投票者と公職者が自発的に困難な職務にあたることで個人の利益よりも集団の繁栄を優先することを実践してきた」(P.278 リード少佐の台詞より)

人間の子どもはイヌと同じように痛みをもって躾ける必要がある、個人の命は社会を守るために捧げられるべきだ、個の尊重なんか○○食らえという、日本のある党派が聞けば涙を流して喜びそうな見解がいたるとこにちりばめられており、これが、実験小説として設定されているならまだしも、作者の生の声だというのだから、そりゃ読者は引くわー、と正直なところ思う。しかし、集団を集団として動かすなら、ある程度の規律は必要だし、個人が社会に対してまったく無責任でもいけない。それはわかる。例えば、以下に歴史哲学を教えていたデュボワ先生の台詞をひいてみるが、なかなか深いなーと思うわけだ。

「通りをうろつく年少者のチンピラたちは、より大きな病の徴候なのだ。当時の市民たち(全員がその一員とみなされていた)は、”権利”という神話を賛美した……そして、みずからの義務を見失ってしまった。どんな国家もそのような体質になっては、生き延びることはできないのだ」(p.184)

「われわれは訓練や経験をとおして、そして心の汗をたっぷり流すことで、道徳感覚を獲得するのだ。この不幸な非行少年たちは、きみやわたしと同じように道徳感覚を持たずに生まれ、しかもそれを獲得するチャンスを与えられなかった。彼らの経験がそれを許さなかった。”道徳感覚”とはなんだ? 磨きあげられた生存本能だ。生存本能は人間の本性そのものであり、われわれの個性のあらゆる面がそこから生まれている」(p.181)

さすがに後者は、80年代に世間を賑わせた戸塚ヨットスクールを彷彿とさせるが、考え方としてはハインラインの方が先にあったわけだ。ただ、気をつけなくてはいけないのは、生存本能=道徳感覚ではなく、生存本能を適切に磨き上げた時に道徳感覚になるということだ。何らかの訓練や指導が必要になり、それが新兵訓練だったりするわけだ。

道徳感覚そのものはいいとして、それを軍隊のような組織にかっちり組み込んで、完璧な上意下達のシステムができあがったとしよう。すでに作品の中ではそれが実現されている。すると人はどうなるか。自分の頭で考えなくても、訓練で仕込まれたとおりに動くことによって、組織の歯車として生きてゆくことができる。しかも、歯車であることを幸福に思いながら。それが主人公のジョニー青年だ。

ここで、ふと伊藤計劃『ハーモニー』を思い出した。あの作品の世界では、人の脳を操作することで、思い悩むことなしにその場にふさわしい最善の行動をとることができるようになり、結果として意志と感情が不要になる。あとに残されたのは、茫漠とした幸福感のみ。それが「ハーモニープログラム」が発動した状態だった。ジョニーは訓練によって「ハーモニー」の境地、幸福なディストピアの境地まで達したといえないだろうか。

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