珍しく話題に乗り遅れまいとして、この夏公開の『シン・ゴジラ』を見てきた。
「巨神兵東京に現わる」の完全版ではありませんか。
というのが、鑑賞後の第一印象。ゴジラが熱線を吐き散らす様はまさに巨神兵ですよ。腐らずに立ち上がって世界を「火の7日間」に巻き込んだ巨神そのものですよ。

今さら言うまでもないが、特撮を愛して止まない庵野秀明が総監督および脚本を担当しており、2014年に名古屋にやってきた特撮博物館を嬉々として鑑賞した身にはワクワクするシーンがてんこ盛りだった。容赦なく街を破壊する巨大生命体、それを全力で食い止めようと奮闘する、単体では非力で小さな人間たち。実に胸アツな対決だった。

(以下盛大にネタバレ)

過去の特撮映画に対するオマージュが散りばめられた情報量の多い作品ではあるが、ストーリーはシンプル。
突然首都圏を襲った巨大不明生物「ゴジラ」を凍結するまでの架空のドキュメンタリーだ。
もう少し詳しく言うと、
未知の巨大生物が東京湾から上陸してきて都内を破壊する→政府が対策を立て、自衛隊による攻撃で駆除を試みるが失敗する→ゴジラと名付けられ、解析が進められるいっぽうで、アメリカや国連が手を出してきて、ついには多国籍軍による、ゴジラへの核攻撃が承認される→首都圏の住民避難のために許された二日間プラスαの間に、「巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)」のメンバーがゴジラの謎を解き、薬品を使って凍結に成功する→一時的な平和(万が一ゴジラが再起動したら問答無用で核攻撃)→とりあえず終わり。

このあらすじでもうわかってしまうと思うが、3.11も意識したフィクションである。ゴジラ=天災であるばかりか、体内に放射性物質を抱えており、破壊ではなく凍結されたことで福島原発を連想させる。ウルトラマンのような突出した能力を持つヒーローが現れないのも特徴だ。フィクションとはいえ、あくまでも、現代日本にゴジラが現れたら何が起きるか、というドキュメンタリーを意識して作られており「もしも未知の巨大生物が国内に上陸したら政府はどう動くのか」を徹底的にシュミレートした政治的フィクションでもある。

このシュミレーションは、詳細なリサーチを重ねたというだけあって、非常に秀逸で、多少の希望的観測は混じるものの、現代の政治に対するカリカチュアとして見事に機能している。ブラックに笑えるポイントはいくつもあるが、最大の皮肉は「上層部=年寄り議員たちがゴジラにやられてしまい、若手が中心とならざるをえない状況に追い込まれてからゴジラの凍結作戦が成功した」という筋立てだ。劇中で、「スクラップ・アンド・ビルドで日本は成長してきた」という国会議員の台詞があるが、それはあたかも先の震災で政治家の完全な世代交代が起きていればもう少しマシな日本になっていたのでは? と指摘しているかのよう。

また、ドキュメンタリー風な画面の作り方に加えて、俳優がカメラに向かって(=視聴者に向かって)語りかけてくる場面がとても多かった。そうすることで、視聴者もその場にいるかのような臨場感が出るが、さらに重要なのは、視聴者が数々の課題や判断を自分事として突きつけられているように感じる点だ。もし自分が指導者の立場であれば、怯むことなく課題に対する判断を下していかなくてはいけないし、その責任は必ず問われる。政治家は厳しいなあと思わざるを得ないシーンも多かった。というか、本来は厳しくなくてはいけないのだな。その権力と引き換えに。

最後、海に帰れなかったゴジラは、当分の間は首都のどまんなかで凍りついたまま立ち尽くすわけだけども、あれがいる間は、気を緩めるヒマもないわけで、むしろ日本の健全な発展のためには役に立つのでは? などと思ってしまった。ほら、現実の日本だって戦争の実体験を持つ人々が減ってゆくにつれ、どんどんキナ臭くなっているし。

ある感想コラムで指摘されているように、この作品では政治家たちの動きはリアルになぞっているが、やんごとなき方々についてはいっさい触れられていない。たしかに皇室の存在が示されているのはほんのワンシーンだけだ。謎といえば謎だが、もしかすると踏み込んだリサーチができなかったから出せなかったのでは? と憶測してみたりする。

それよりも大きな疑問は、なぜゴジラが日本の首都に上陸したか、だ。エサを求めるわけでもなくテリトリーを守るわけでもなく、ただ物見遊山的に陸地に上がってみたら、たまたまそこが東京で、人間が勝手に攻撃してきたので進化して身を守った、というふうにしか見えないのだが……。
だが、これはいっしょに見に行った娘の一言で解決した。
「中に博士が入ってたからじゃない?」
博士というのは、ゴジラについて研究していた牧悟郎博士のことで、まあ、いわゆる「中の人」かどうかはともかく、博士は日本に絶望を抱いていた。彼が消息を断ったレジャーボートの中には宮沢賢治の『春と修羅』が残されていた。「おれはひとりの修羅なのだ」と綴られている賢治の詩。彼がざまぁ見やがれとばかりにパンドラの箱を開けたのだとしたら、すべて納得がゆく。

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