巷では大河ドラマの真田丸ロスに浸る人々が多いようだが、来シーズンの「おんな城主 直虎」はもう始動している。児童向け文庫でも2作品が出たので、さっそく読み比べてみた。左の書影が、越水利江子著「戦国の姫城主 井伊直虎」、右の書影が、那須田淳著「戦国時代をかけぬけた美少女城主 井伊直虎」

 

歴史上の人物を描く場合、それが女性だと資料が大変少ないそうで、つい先日も「直虎は井伊家の一人娘ではなく、遠縁の男性だった可能性がある」という資料が見つかったという話が出たばかりだが、その資料の真偽も検証されなくてはいけないそうだ(戦国時代、言い方は悪いが敵を欺くためにニセの手紙や文書があってもおかしくないので)。当時(そしてほんの数十年前まで)女性は所有物、あるいは財産としての価値しか公には認められてなかったわけで、記録が少ないというのはそういうことなのだろう。ペットの名前や寿命がいちいち公文書に残されないのと同じかもしれない。

ということは、逆に「こういう出会いやストーリーがあってもおかしくない」と現代の人間が想像を膨らませる余地が十二分にあるということで、今回は奇しくも二人の児童書作家がそれぞれ違う味付けで直虎の生涯を語ることになった。ちなみに、直虎の生涯については、井伊家の菩提寺である龍潭寺のサイトで紹介されているので参考までに→ 

両者の主な違いは以下の通り。

★文体
越水版→時代劇風
那須田版→現代風
★直虎の幼名
越水版→まどか(円、圓) 戒名から推測。
那須田版→おとわ(大河ドラマに準拠)
★幼い時のエピソード
越水版→許嫁との間に交わした水晶の紐飾りと笛の袋
那須田版→旅の途中の藤吉郎と出会い、賊に襲われた竹千代を助ける
★城主になったときのエピソード
越水版→領民のために先祖伝来の井戸を復活させる
那須田版→危急の状況において、直親より先に的確な判断を下す。
★瀬名姫との縁
越水版→一度もあったことはないが、親戚ではあるし、着物の贈られるというやり取りもあった。
那須田版→互いに見知っており、親しく話を交わしている。
★家康に虎松を預けるときのエピソード
越水版→遠江近辺で鷹狩りから帰る家康に、野外で接見する。
那須田版→家康の居城まで直虎と虎松が赴く。室内での接見。
★直虎の性格
越水版→許嫁への思いは激しく深く、井伊家を守らなくてはいけないと必死だが、女性ゆえ、思うように身動きがとれずにいる。
那須田版→思いの強さに行動がともなう。許嫁への思いは淡い初恋のようなもので、さらりとしている。
★和尚南渓の存在感
越水版→直虎にとっては重要な相談役であり、男名義での出家の話など、井伊家の命運がかかった大事な決定はほとんど南渓が下している。僧兵としても強いし、修行僧を「草のもの」として活用している。
那須田版→あまり登場せず、井伊家のことは直虎が自分で判断し、行動していく。出家の話は藤吉郎のアイデアになっている。

言葉遣いやエピソードの使い方などの印象では、越水版は歴史的事実をできるだけ尊重した上で子どもたちにもわかる文章を狙っているのに対し、那須田版は子どもたちにとっての読みやすさ、伝わりやすさを優先させているように感じる。
いずれにしても、弱肉強食の戦国の世で人生を翻弄された女性の悲しさと強さが描かれていることに違いはない。ただ、表現の仕方がずいぶん違うので、読み比べはおすすめ。

遠く離れた時代を扱う場合、事実を確認するにも限界があるが、かといってあり得ない状況設定はできない。その辺のさじ加減をどうするかについては、中世ヨーロッパの世界を舞台にした『ミムス--宮廷道化師』の作者、リリ・タールがすばらしい答えを出している。

☆インタビュー記事より引用
自分に課したのは、「どのようであったか?」を追求することではなく、「決してこれはあり得なかった」ことをできるだけ排除しつつ、でも「ひょっとしたらこうだったかもしれない」という程度の正確性で時代を反映させることでした。これならば、「時代の精神」を想像することは難しいどころか、楽しい作業でした。思いきり想像の翼を広げ、時空の旅をするのは大きな魅力です。何百年もの隔たりを越え、異質で謎に満ちた別世界に浸るのですから。だからといって、あまりにも野暮なまちがいがあったり、時代にあわないものが登場したりするようであってはなりません。騎士がジャガイモを食べている場面(ほかの児童書に出てきたのですが)などは出てこないような注意が必要だということです。

インタビュー出典のサイト→ 

 

広告