先月のこと、某動画配信サービスで、サイボーグ009の最新作『CYBORG009 CALL OF JUSTICE』を見てみた。総監督として神山健治氏の名前があったので、それなりに期待はしていたけれど、うーん、一言で言うなら、プロの人たちが手がけた壮大な二次創作だな、と思ってしまった。

※ここから先は辛口&ネタバレコーナーですので、気にならない人はどうぞお進みください。

細かなあらすじは省略するが、アメリカの田舎に隠遁していたサイボーグたちが、一人のジャーナリストによって無理矢理戦場に引き戻される出だしや、味方であるはずの国連軍に敵認定されて攻撃を受け、孤立無援になってしまう流れなど、009モノとしての「お約束」はきっちり守られている。さらに宇宙ステーションへ002、004、009が飛ぶことで、原作ヨミ編の「どこ落ち」や超銀(1980年公開の「超銀河伝説」)ネタ、というかオマージュが見え隠れし(「宇宙戦艦ヤマト」の真田さんネタまで!)、古いファンなら「ああ」と思う演出がそこかしこにちりばめられている。とくに大きな影響が見られるのが原作の「結晶時間」。ジョーの加速装置が故障して、加速状態から元に戻らず、ジョーはしばし止まった時間の中に閉じ込められるという短編だ。それが通常の時間軸でほんの数分だとしても加速状態にあるジョーにとっては、それはそれは長い時間だったのだ。この加速中の孤独がラスボスを倒す鍵となる。

このストーリーでは「ブレスト」という異能集団が敵役となるのだが、ブレストのラスボスは他人の能力をコピーする特殊能力を持っていて(この設定はほかの漫画でも見たことあるぞ)だからこそ最強となり得ただけあって、サイボーグたちは歯が立たない。そのラスボスを封じることができるとしたら009の加速能力しかないというのだが、ではどのようにしてその加速能力を最終兵器として使うのかと思ったら「事象の地平線」だった。ジョーは光より早く加速してラスボスを連れて事象の地平線の向こうへ行ってしまったのだ。誰の手もとどかず、光でさえも脱出不可能な場所へ。エンドロール後のエピソードを見るに、どうやら事象の地平線の向こうは超銀の「ボルテックス」になっているのでは? という疑念が頭をかすめるが、これはもう蛇足なのかなんなのか(汗)

画像的にはすべて3DCGだったためか、画面がゲームのシーンのよう。とくにキャラクターの肌の質感がのっぺりしている。ゲームなら気にならないのだが、これが映画として公開されたことを思うと、ちょっとつらいレベル。キャラクターデザインやコスチュームも現代に合うように一部デザイン変更されていたが、これらについてはおおむね違和感なし。だからよけいに脚本に対して古さを感じたかも。最初から最後まで「お約束」に忠実すぎて、型を破ってハッとさせられる何かがなく、キャラクターたちは、決められた役割・性格からはずれることがない。いい具合に進化したのはフランソワーズとジェットぐらいか。あくまでも「よくできた二次創作」だ。

実はこの「CALL OF JUSTICE」の前には、神山氏が押井守の影響を大きく受けつつ監督をつとめた『009 RE:CYBORG』がある。原作の「天使編」を意識しつつ「どこ落ち」をオマージュした演出があり、しかも最後はよくわからない世界(要は押井ワールド)へ突っ込んでしまって物議を醸したのだが、そちらの方が内容としては現代以降を意識した新しさは感じたし、スケールの大きさも(過去から未来への広がり、世界の広がりともに)あった。もし009たちを現代に生かすとしたなら、こっちの方向性が合っているような気もする。たとえ007や008が途中退場したり、フランソワーズのブラック性が押し出されているとしても。

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