4月30日に開催された名古屋SF読書会も、気がつけば、もう8回目。
今回は新しめの作品を、ということで2016年8月に出た『ハリー・オーガスト、15回目の人生』が課題本になった。

以下、Amazonから引っ張ってきた内容紹介

一回きりの人生では、語りきれない物語――。
全英20万部突破の“リプレイ”SF大作が待望の日本上陸!

1919年に生まれたハリー・オーガストは、死んでも誕生時と同じ状況で、記憶を残したまま生まれ変わる体質を持っていた。
彼は3回目の人生でその体質を受け入れ、11回目の人生で自分が世界の終わりをとめなければいけないことを知る。
終焉の原因は、同じ体質を持つ科学者ヴィンセント・ランキス。彼はある野望をもって、記憶の蓄積を利用し、科学技術の進化を加速させていた。
激動の20世紀、時を超えた対決の行方は?

もう少し補足すると、ハリーのような体質を持った人間は、本作中では「カーラチャクラ」または「ウロボラン」と呼ばれ、どの時代にも何人か存在する。彼らは「クロノス・クラブ」という組織を作り、互いに助け合い、誰かが歴史を大きく変えようとすれば阻止してきた。ハリーもこの組織の世話になるが、ヴィンセントはクロノス・クラブには属さず、逆にそれを世の進歩を阻害するものと見なして滅ぼそうとさえした。彼は世界の進歩を早めることで「量子ミラー」の完成にこぎつけ、この世のすべての謎を解き明かしたいという野望を持っていたからだ。ハリーに言わせれば、人間が神になってしまえるような「量子ミラー」なんぞとんでもない代物で、結果、二人は何度も生まれ変わりながら真っ向から対決する。最後は相打ちと見せかけてハリーが紙一重のところで勝利する。この勝ち方がキモで大変ぞわりとするが、それは未読の人のために伏せておく。

紹介文を読むと面白そうな話ではあるが、ページ数がやや多めなのと、(表紙のハリー像がイケメンとは言いがたいことと)、新しい作品で評価が定まっていないこともあってか、参加者は少なめの約20名。いつもは3グループに別れるところを、今回は2グループで話し合った。盛り上がりはいつも以上。物語としてはたしかに読ませるのだが、SFとして読むとやたらにツッコミどころが多く、突っ込む作業は楽しい。

皆さん、気になるポイントはだいたい同じ。自分のグループで出た意見をまとめてみると
◆「量子ミラーて何?」
→ だれもわかりません。この世の謎をすべて解き明かす装置だとヴィンセントは主張しているが、そのからくりや、何がどうなってそんなことが可能になるかについては、どれだけ読んでも読み取れない。そもそも量子ミラーに関する議論がいつも中途半端なままで終わっている。

◆「生まれ変わった世界は、同じ世界の過去? それともパラレルワールド?」
→ ハリーは生まれ変わるたびに少しずつ違う人生を送っている。医者になったり学者になったり、結婚相手もさまざま。彼をとりまく人間関係もちょっとずつ違う。ひどいときには滅びが迫っている世界を生きているときもある。なので、生まれ変わるたびにまったく同じ時間軸に戻るのではなく、パラレルワールドを生き直していると考えた方がムリがない。ただし、生まれ変わると必ず他のカーラチャクラの人たちも同じ生を生きているのが不思議。他にも矛盾点はいろいろ出てきて、最終的には、この辺の齟齬については深く考えずに読むのが吉だということで話はまとまった。

◆「ハリーとヴィンセントってBLな関係でいいの?」
→ヴィンセントは執拗にハリーにつきまとい、自分のコントロール下に置きたがろうとするが、これはどう見ても愛情をこじらせたストーカーレベルである。なにしろ記憶を奪った上で自分の庇護下に置こうとするのだから。いっぽう、記憶を奪われたフリをしつつ、執念深くヴィンセントの野望を止めようとするハリーも、ヴィンセントに対して憎しみとセットになった奇妙な愛情を抱いているふしがあり、14回目か15回目の人生では、求められればベッドをともにすることもあるだろう、とさえ言ってのけている。「おっさん科学者同士の愛と憎しみの物語」と言えば、特定の層が食いついてくるのはわかるが、これは何というか、作者は明らかにその線を狙っているなと思えて、正直、ちょっと引く。
ただし、ハリーとヴィンセントの関係がこの物語を引っ張ってゆく動力機関であることに間違いはない。

◆「世界の歴史って、そんなに簡単に変えられるものなの?」
→ 本作をSFとしてとらえるなら、カテゴリーとしては時間SFだ。時間SFの面白さは歴史上の事件をいくら変えようと奮闘しても、最終的には変えられないやるせなさにあるが、本作ではあっけないくらい簡単に科学技術方面の歴史が書き換えられてゆく。原因はヴィンセントが同時代の科学者に向けて、未来の技術を教える手紙をばらまいたことにあるというのだが、でも、リアルに考えると、新技術の設計書があったとしてもそれを支える周辺技術やものの考え方が未発達なままでは、新しい技術は使えない。作者はそのあたりの事情をちゃんと考慮した上で、ヴィンセントに手紙作戦を実行させたのだろうか?

◆「これはむしろラノベでは?」
SFの設定がツッコミどころ満載である一方で、エンタメとして読むと大変面白い。何度生き直しても、結局ハードボイルドな人生を送る羽目になるハリーである。カーラチャクラとして何百年も生きるうちに、医者になったり学者になったり、ヤバい筋の投資家になったり、諜報員になったりと、男の子の好きそうな仕事を片っ端から体験していく(興味深いことに芸術家に挑戦したことはない)。そして経験したものごとを忘れない体質なので、能力は高く、各方面から頼りにされている。痛い目にあいながらも宿敵を着々と追い詰め、最後には勝利する。強すぎる主人公、時々あらわれるご都合主義な設定、世界を救えるのは主人公しかいない、何やら既視感が…………。これはSF的な舞台背景を持つラノベだと理解するなら、とても腑に落ちる。

同じグループになった翻訳家の中村融先生によると、本作が受賞したジョン・W・キャンベル記念賞というのは、ヒューゴ賞・ネビュラ賞から漏れたけれども面白いSF作品に対して与えられる賞だという。そういうことですよ、納得。

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