「花天新選組―君よいつの日か会おう」

花天新選組―君よいつの日か会おう
越水 利江子
4477019424

新選組を扱った小説だが、まるでノンフィクションのように、史実をきっちりベースにして書かれている。読み終わったあと、内容の重みに打ちのめされそうで、しばらく動けなかった。
変なたとえかもしれないが、表紙や帯を見て、ついプリン・アラモードを期待してページをめくってみたら、ステーキがメインのフルコースが登場して、あら予想と違うじゃないのと思いつつも、中身の素晴らしさにすべて食べきってしまい、消化が終わるまで動けなくなっている状態。
ひと晩寝て目が覚めても、まだ衝撃が残っていた。こんなことは珍しい。歴史には裏と表があることを強烈に認識させられただけでなく、新選組のあり方が悲しすぎて仕方なかった。なぜ彼らは負け戦とわかっていて戦い続けたのだろうか?

この物語は、いきなり新選組を登場させるのではなく、現代の少女・秋飛が幕末の京都へタイムスリップして新選組に転がり込むところから始まる。さすがに少女のままで新選組に入るのは無理があるので、秋飛は死にかけた平隊士の身体に魂が乗り移って息を吹き返したことになっている。平隊士の過去については「記憶喪失」ということで封印。剣術の心得については、もともと秋飛は祖父から古剣術を習っていたという設定でクリア。もちろん新撰組の猛者の前ではまるでひよっこだが、最低限そのくらいの心得がなければ、戦場で生き延びることすらかなわないはずだから。

少々面倒な設定かもしれないが、現代の少女を主人公にすることで、読者に近い目線で新撰組のメンバーが見られるし、時代の空気や戦いの迫力が彼女の五感を通じて非常にリアルに伝わってくる。血や硝煙の匂いまで感じ取れるほどに生々しく。読後感が重かったのは、この迫力のせいかもしれない。
以下、激しいネタばれがあるので未読の方は要注意。


不思議な縁で憧れの新選組にもぐりこんだ秋飛は、近藤勇を始め、沖田、土方など、そうそうたるメンバーのすぐ近くで仕事をすることができる。基本、下働きばかりだが、運が悪いと戦闘場面に遭遇することもある。だが、彼女は戦闘要員としてはほとんど使い物にならない。いくら剣術の心得があるからといっても、また、多少の練習を積み重ねたとはいっても、凄腕同士が戦うときには足手まといにしかならないのだ。だが、そこがいい。人が斬られる恐ろしさ、死への恐怖、弱い自分へのいらだち、新選組幹部の強烈な存在感、そういったものが直に伝わってくるから。

新選組の幹部たちは魅力にあふれていて(もちろん悪役はそれらしく)彼らの活躍ぶりや、日常の何気ない会話を読むのは楽しくてしかたなかった。秋飛は沖田ひとすじだったけれど、自分は土方派(笑)。とことん策士なところとか、デフォルトで苦虫を噛み潰したような顔をしているとか、結構好きなのだ。女癖の悪さはちと問題かと思うけど、ちゃんと自覚していてきっちりフォローもしているというのだから、さすが。それだけに最後はつらくて参った。

秋飛は一隊士として、土方や沖田のそばで幕末の動乱に巻き込まれ、肺結核で倒れた沖田の死をみとり、そして最後は新選組の一員として函館まで土方を追っていく道を選ぶ。そう。彼女は現代に戻ろうとしない。タイムスリップした主人公が戻らないなんて、これはある意味ファンタジーの掟破りだと思うが、もしも現代に戻ったとしても、普通の暮らしはできないと思うし、何より物語的に筋が通らなくなってしまう。やはり最後は彼女の凛とした背中を見送るほかはないのだ。

最後に蛇足な話を置いておく。「沖田」「土方」と聞くと、どうしても某宇宙戦艦アニメを思い出してしまう。作者としては、地球を救う船に新選組メンバーの名前を入れたい、という思いがあったのだろう。よく思い返してみればヤマトの登場人物たちは、敵味方問わず、武士の魂を持っていた。
「負けるとわかっていても男は戦わなければいけない時がある」
この有名なセリフは同じ松本氏の名作、銀河鉄道999に登場するのだが、ヤマトでもまさにそうだ。そして「沖田」や「土方」の名を負う館長たち。
そうか、そういうことだったんだ。と、ひとり勝手に納得して退場する。

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