まさに総決算だよね――宮崎御大の「君たちはどう生きるか」

アカデミー賞を獲ったと聞き、やはりこれは履修しておかねばと、ジブリの「君たちはどう生きるか」を映画館で見てきた。引退サギですっかり有名になってしまった宮崎駿監督の最新作。最初に感想をまとめるなら……

普通のファンタジーアニメとして見るならば合格点。特に描写力は相変わらず素晴らしく、台詞がなくても話の舞台や状況、登場人物の心境がしっかり読み取れる。この点はやはりアカデミー賞にふさわしいと思う。けれども宮崎監督の作品として見ると、さすがに年齢的な限界を感じさせ、正直なところ、これ以上はもう作らないほうがいいよ、と感じるのだ。(ちなみに自分的にエンタメとして最高峰だと思うのはダントツにラピュタで、内面的な深みで最高だと思うのが「風立ちぬ」。)

なぜそのように感じたかというと、ファンタジー世界のつくり方が、これまで監督が読み込んで血肉としてきたであろう幾多の児童向け小説のツギハギ感が強くて、消化いや昇華されていない印象が否めなかったことにある。ああこれは体力が続かなくなったのかなと訝しむほどに。ただ、宮崎御大のことなので、意図的にそうしている可能性もある。

同名の原作小説はだいぶ前に読了して、なかなか良い本だったと記憶している。主人公のコペルくんが、まだ若い叔父と交換日記をしながら、日常で出会う不条理にどう対応していくのかを考えていく物語だ。書かれた時代が戦前の話なので、今と社会情勢はいささか違うけれども、成長物語としての本質は現代でも十分通用する。

この原作が宮崎版「君たちは~」とどうリンクしているか、だけども、当然(!)原作をそのままアニメ化したりはしてない。時代背景は戦時中なので原作と近いが、これは宮崎監督自身の幼少時代とリンクしていると考えたほうが良さそうだ。登場人物もまったく被らない。ではどこでつながるかというと、物語の中盤シーンで主人公少年が吉野源三郎版の「君たち~」を母からの贈り物として読み、涙するところだ。コペルくんに共感したであろう主人公少年(眞人)が自分で自分の課題へと立ち向かう、もう一つの「君たちはどう生きるか」だといえる。

眞人少年はどんな課題を抱えていたのだろう。一番大きなそれは恐らく「孤独」。空襲で母を失った悲しみが癒えないまま、東京郊外へ疎開する。疎開先は新しい母の実家(広大なお屋敷)。しかも新しい母というのが、眞人少年の母の妹だというからとても微妙なところだ。また、羽振りの良い実業家の息子である眞人は疎開先の学校で受け入れられるはずもなく、彼は自分で自分を傷つけ、学校に行けなくしてしまうが、その事実は誰にも言えない。怪我の療養中に出会ったのが吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」。それを四分の三くらい読んだあたりで、アオサギとか裏庭にそびえる不思議な塔に導かれ、ファンタジーの世界へ入ってゆく。

児童書を読み慣れた人にはお察しだろうけど、眞人少年はファンタジー世界へ行って還ってくることで、自身の課題をクリアし一回り成長する。彼の場合は孤独の殻を打ち破り、他者とつながろうと動き始める。そしてファンタジー世界というのは、作者が好きに仕掛けを用意することができるとても都合の良い世界でもある。ミッションをクリアするために必要な障害物や手助けをするキャラクターなどを自由に配置できるぶん、作者の世界観や意図せぬ心の内まで現れる。本作で登場する主なモチーフは、天井のある世界、時空を行き来できる塔、鳥の王、そして死の島。

時空を行き来できる塔は、ハウルの動く城を連想するし、鳥の王はそのまま同タイトルの本がある。死の島は児童書とは関係ないがアルノルト・ベックリンの絵画で有名で、糸杉のシルエットが独特な、海の中にそびえる孤島の姿を描いたものだ。また、マーニーへのオマージュやもののけ姫の時代を彷彿とさせる描写があるなど、過去の宮崎作品のかけらがちらりちらりと見える。時空を行き来できる塔というギミックを通じて、古今東西の児童小説や自作をリミックスしたかのような既視感だらけのファンタジーワールドが展開されている。この手法は「ハウルの動く城」の作者であるダイアナ・ウィン・ジョーンズと似ているかもしれない。ジョーンズ氏は様々なモチーフをパッチワークのように使いながらあっと驚く新しい世界を見せてくれたけれど、宮崎御大はどうなんだろうか。

受け取り方は人それぞれだけども、少なくとも私には、宮崎監督がこれまでに影響を受けてきた数々の作品に対するオマージュ&お礼&別れの挨拶のように受け取れた。例えば、ファンタジー世界内に「死の島」というモチーフが登場したり、眞人少年が「死の匂いがプンプンする」と言われていること、その世界が有限で天井を突破できるのは現実世界に転生する魂だけであり、中で大繁殖してしまった鳥たちにはもう行き場がないことなど、世界の終わりを連想させるモチーフが数多く登場する。実際、物語の終盤で、ラスボスである大おじ博士は自分が守ってきた世界に限界が来ていることをよくわかっていて、それを眞人少年に跡を継がせることで、世界の若返りを図ろうとした。しかし、それは鳥たちの悪意によって阻止され、結局彼の世界は崩壊するしかなかった。

見るからに年老いた大おじ博士を宮崎御大と重ねて見る人は少なくないだろう。彼は自分が作り上げたジブリアニメの世界を若手に譲ろうとしては失敗してきたのだから。どこかで鈴木Pが発言していたと思うが、宮崎監督の跡を誰かが継ぐのは結局無理だ。しかし、宮崎監督レベルの作品を新しいやり方で他の誰かが作ることは可能かもしれない。これを本作になぞらえて言うなら、大おじ博士が守り育てた世界は崩壊したが、眞人少年が新しく自分のやり方で世界を作ることは可能なのだ。胸を締め付けるような諦観とやや無責任にも見える次世代への希望が同居したような不思議なテイストの物語だった。



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